子ども平和学習交流事業は、戦争・平和・差別・人権を学習の柱に、町内の小学校6年生が仲間とともに学び、視野を広げていくことを目的とした事業です。今年で30回目を迎え、これまで事業に参加した児童は300人を超えます。
6月から学習が始まり、8月には4泊5日の県外研修を行いました。学童疎開から80年の節目にあたる今年は疎開先の宮崎県を訪問しました。子どもたちが学習を通して感じたこと、考えたことの一部をご紹介します。
■県内研修
◯ハンセン病・沖縄愛楽園
(翔南小・久場春奈さん)
ハンセン病になった人がなぜそんなにつらい思いをしないといけないのかなと思います。病気にかかったら看病してもらうことがふつうだと思っていたけれど、見捨てられたり、人権侵害されたりされてて、とても悲しく思いました。人権侵害をしないためには正しい知識を知って、みんなに広めることだと思いました。
◯疎開体験者・金城シズ子さんのお話を聞いて
(南風原小・大城凛佳さん)
宮崎にいくために魚雷をよけジグザグに移動していたから19日間かかったそうです。私は、19日間も立てないぐらいにゆれる中ですごす勇気がないと思います。私も船に乗ってみて、一日を船の中ですごすのも大変だったのに、お世話までしながら不安の中で過ごすのは、とっても大変だったんだなと思いました。
■県外研修
◯宮崎県日向市 戦跡・疎開地めぐり
(北丘小・山中理葉さん)
落鹿公会堂の近くには当時と変わらず流れ続けている用水路があり、時代は変わっても南風原の疎開学童たちと同じ道で同じ音を聞いているんだと、少しだけ疎開学童の気持ちがわかりました。高松の菅原神社には、南風原学童疎開記念碑があります。この記念碑は、南風原町には内緒でつくられました。日向市の方たちが当時は何もしてあげられなかった申し訳なさでつくったと知って、南風原町に住んでいる一人としてとてもうれしくなりました。
◯宮崎県 波島地区について
(南風原小・大城優杏さん)
波島地区というのは、沖縄から宮崎に疎開した人達がうつり住んだ場所です。波島に住んだ人達は、養豚、養鶏、ヤミ焼酎などの商売をしていました。養豚などではにおいがきついため他の人たちからけいえんされることもあったり、波島までタクシーにのって行こうとすると、「おりてください」と乗車を拒否されるなどの差別をされることもありました。それでも波島の人達はあきらめずに差別の中でも家族のために働いていて、とてもすごいなと思いました。
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