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【特集】慰霊(いれい)の日(2)

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沖縄県那覇市

■証言者の思い
10歳の時に沖縄戦を経験された玉木利枝子さんが手記を寄せました。

沖縄県観光ボランティアガイド
玉木 利枝子さん

たまき・りえこ(旧姓…酒井)
1934年生まれ。天妃国民学校1年生時に大東亜戦争が勃発、4年生時に10・10空襲に遭遇。医師である父が軍医として出征したため、家族は死なば諸共と軍を追い父を探し南部の激戦に巻き込まれる。

私の家族、叔父の家族合わせて10名のうち8名の命を奪った戦争。戦争のことは思い出したくない、忘れたいと50年黙して語らなかった。
しかし、平成7年に沖縄県平和祈念資料館移転事業推進検討委員会の委員となり戦争のことは語り継がなければならないことに気付き「少女十歳の戦場」を著す。この冊子が独り歩きし、全く知らない人からの手紙やハガキを貰い、果ては沖縄戦で従軍し生き残ったという北海道の南義雄氏とは96歳で亡くなるまで10年以上の文通が続いた。

現在所属するボランティアガイド団体にも証言を断り続けたが…知らなければ何も始まらない。知らせることの大切さ、過去に学ばなければならないことを深く知り体験者としての責任を感ずるようになって現在に至る。

主に県外から来る中・高校生の平和学習の時間に語り継いでいるが、本当は戦場になった沖縄の負の遺産の真実を沖縄県民の我々自身がより深く知るべきであると私は思っている。
今の日常が当たり前だと思ってはいけない。学べる、遊べる、家族の団らんが一瞬のうちに吹き飛ばされるのが戦場だ!
砲弾が飛び交う中で10歳の子供が、「死ぬのは仕方ない、苦しまずに痛い思いをせずに一瞬に死なせてくれ」と神に祈った…こんな世の中があっていいだろうか?沖縄県民である私達こそが戦争のことをもっと知るべきだ。

始まってしまえば戦争はなかなか止められない。軍拡の競争は果てしない。外交力がいかに大切か、いかに話し合える国々でなければならないか。一番大切な人間の命が失われる、それが戦争だという事を忘れてはならない。

戦没した家族:
・開業医の父…軍医となり戦死
・四歳上の兄…東風平の地上戦で被弾死
・祖父…真壁にて被弾後家族の足手まといになると自決
・祖母…喜屋武にて爆風による即死
・母方の祖母…首里にて衰弱死
・叔父…歩兵隊戦死
・叔父の子…七歳男児は米軍のトラック上で死去。五歳女児は米軍の野戦病院で死去

・市では沖縄戦体験者証言記録映像を制作しています。

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