■長刀(なぎなた)まつり コロナ禍乗り越え、衣装や道具も新調
▽あでやかに、はれやかに、見物人を魅了したい
太鼓打ちの衣装や長刀行列の長刀50本などが新調されました。
昨年は長刀振りのない当番だったので、新しい衣装や道具は今年初めて出番を迎えます。
今年のまつり当番は山賀町です。コロナ禍の縮小や中止もあって8年以上ぶりの本番を前に、3月から全員がきれいに息を合わせた美しい渡りや、長刀振りの妙技など、練習を重ねています。
■すし切りまつり 復活から定着へ、子どもたちの長刀振り
今年、すし切りの大役を果たす川立崚太(かわたつりょうた)さんと上路将雅(うえじしょうま)さんは、枇杷(びわ)の葉を使って包丁さばきや所作の練習に余念がありません。
古式を残すかんこの舞や長刀振り、太鼓や鉦(かね)など、町内総出で練習に励んでいます。
■豊年踊り 中世の田楽踊り、風流踊(ふりゅうおどり)の流れを子どもたちが継承
豊年踊りの主役は子どもたちです。囃子(はやし)や音頭、太鼓打ちに踊り子、舞を奉納する巫女まで、小学1年~中学1年生の子どもたちが、本番に向けて馬路石邊仁神社の社務所や境内で大林(おおばやし)宮司を先生役に練習しています。
■祭礼本番は5月4日(土・祝)と5日(日・祝)
◆小津神社(杉江町) 長刀まつり
ユネスコ無形文化遺産構成要素・国指定無形民俗文化財「近江のケンケト祭り長刀振り」
令和6年踊り当番(山賀町)
約1、450年前、欽明(きんめい)天皇のころに琵琶湖のはんらんにより湖中へ流失した神霊を迎えた際、氏子たちが踊りを奉納したのが、このまつりの始まりと言い伝えられています。
例年5月5日に小津神社とその周辺で奉納されます。小津・玉津の両学区11町で順番に踊りを担当し、8年に1度、当番が回ってきます。
令和6年は山賀町が踊り当番となっており、6年ぶりに長刀行列やきらびやかな衣装に身を包んだ子どもたちによるささら、太鼓を使った踊りが実施されます。なお、行列は午前10時ごろに小津神社大鳥居前を出発し、長刀振りが始まります。
◆下新川神社(幸津川町) すし切りまつり
ユネスコ無形文化遺産構成要素・国指定無形民俗文化財「近江のケンケト祭り長刀振り」
日本遺産「すし切り神事」
すし切りまつりの名で親しまれる下新川神社の祭礼は「すし切り神事」とケンケト祭りとしての「長刀振り」や「かんこの舞」で構成されています。
すし切り神事は約2、000年前、崇神(すじん)天皇の息子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が幸津川を訪れた際にフナの塩漬けを焼いてさしあげたことが起源とされています。5月5日にはかみしも姿の若者2人が、鮒(ふな)ずしを定められた作法に則って一糸乱れず切り分けます。
すし切り神事の後には、長刀踊りやささらの音色と共にかんこの舞が行われます。かんこの舞は雄雌の獅子が求愛する様子を表現しており、子孫繁栄を願う踊りです
◆馬路石邊神社(吉身4) 豊年踊り
市指定無形民俗文化財
昭和30年代まで、毎年5月13日に奉納されていましたが、昭和40年代から衰微しましたが、その後、有志の努力により昭和51年に保存会が結成され、復活しました。歌詞や踊りから、元は、中世の田楽の系統と考えられます。現在は毎年、5月4日・5日に奉納されます。玉津村史によれば、元は小津神社の祭礼に属していたと伝えられていますが、吉身が独立した祭礼を行うようになった経緯は定かではありません。踊りは太鼓持ちと太鼓打ちが中央、周りで音頭取りと稚児が輪をつくり、音頭取りの歌詞に合わせて舞い、奉納されます。歌詞は小津神社の祭りと共通ですが、節回しがやや異なります。
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