■「當宿調法記 序(とうじゅくちょうほうき じょ)」―中山道愛知川宿記録―
「當宿調法記」は、元和(げんな)九年(1623)~天和(てんな)二年(1682)の中山道愛知川宿における大きな出来事を23項目に分けて記録した(内、6件は欠く)冊子であり、江戸時代前期およそ60年の間に起こった事件などをリアルに書き記しており、江戸時代の愛知川宿の記録として貴重なものです。
▽「當宿調法記 序」
中山道愛知川宿は、近江八幡の武佐宿、彦根の高宮宿に挟まれ、旅籠が28軒、大名・公家の宿泊する本陣・脇本陣が軒を連ねる宿場でした。
しかし、その状況を知るための史料が大変少なく、詳しいことがほとんどわからない状況でした。
平成に入り、愛知川町史の編さんにより悉皆(しっかい)調査が行われ、一冊の記録書が個人宅(森野家)から発見されました。上下二巻の上巻ですが、元禄(げんろく)一二年(1699)二月の作成であることがわかります。
巻頭の「當宿調法記 序(とうじゅくちょうほうき じょ)」に、「古来之儀ハ留書も無御座候ニ付申傳候儀共此序文之内へ書入申候」として、本記述以前の略記録は序文に書き記し、「其外ハ目録迄立奥二記之候」とあります。
■「當宿調法記」本文
目録には、17件の出来事が記されています。
(1)御茶壺御下向に付、累年彦根より御馳走の事
(2)當宿へ御公儀様より下され物並び拝借上納事
(3)御高札度々かわり並び駄賃木銭御定め云々事
(4)京都所司代並び彦根御當筋度々御かわりの事
(5)公方様甲府様舘林様へ三ヶ度御祝言の事
(6)松平伊豆守様伊勢御登の節、御殿様御出事
(7)當宿において一ヶ月に三度珍事これある事
(8)道中御見分の御上使御下向の事
(9)御国廻りの御三人、御順見の事
(10)當宿に付、京都より御検使御下向の事
(11)當殿様御入部並び御領境
(12)紀州様御登り、当宿御昼休の事
(13)池尻中納言殿御登りの節騒動の事
(14)信州の飛脚乱気になり自害の事
(15)伊勢道において彦根大工殺害致す事
(16)御国御上使御三人御順見の事
(17)朝鮮人来朝の事
「御茶壺御下向(おちゃつぼごげこう)」は、俗にいう御茶壺道中で、承応(じょうおう)年間(1652~)から約60年にわたり記録されています。毎年将軍(御三家)に献上する宇治の御茶は、中山道や東海道で運ばれますが、献上茶は大名格の扱いを受けるため、彦根藩の役人たちの接待の様子や、御茶壺の仰々しい行列の様子が事細かにわかります。
(7)では、日ごろ穏やかな愛知川宿において、ひと月の間に3度にわたり自害や殺害の事件が発生したと記し、それぞれ事件の発端から顛末までが記述されています。
また(15)では信州上田の飛脚が宿泊をめぐり相手に斬りつけ、そのあとで自害したという事件の経緯が記されています。
(17)は朝鮮人来朝と記す通り、天和二年の将軍綱吉襲職祝賀の朝鮮例幣使(れいへいし)の通行記録です。総勢475人の使節が通行しています。将軍や彦根藩主への進上品などの記述や、通行の馬・人足の調達に右往左往する様子が記されます。
歴史文化博物館学芸員 大友暢
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