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壷中雑記(26)―歴史文化博物館から―国の登録有形文化財 旧近江銀行愛知川支店

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滋賀県愛荘町

中山道愛知川宿街道交流館(愛知川ふれあい本陣)の情報発信施設として保存活用されている旧近江銀行愛知川支店は、令和元年(2019年)に国の登録有形文化財に登録されています。

■中山道について
江戸時代、徳川家康が全国統治のため江戸から地方に至る中山道、東海道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道を幕府直轄の主要街道として、2~3里ごとに宿場を置きました。宿場には、大名らが宿泊する本陣や脇本陣、一般旅行者のための旅籠屋など宿泊施設が設置されました。街道や宿場など交通網の整備がされ、参勤交代や旅人が往来し賑わうようになりました。五街道の内の一つである中山道は、江戸の日本橋と京都の三条を内陸経由で結ぶ街道です。その内草津追分以西にかけては東海道と重なります。江戸から京都までは約500kmで67箇所の宿場が設置され、愛知川宿は高宮宿と武佐宿の間に設置された65番目の宿場になります。

■中山道愛知川宿街道交流館(旧近江銀行愛知川支店)の国の登録有形文化財
そんな中山道愛知川宿ですが、明治以降、本陣・脇本陣は、役割を終え、解体され、新たな建物が建設されました。現在の中山道愛知川宿街道交流館(旧近江銀行愛知川支店)の建物です。旧近江銀行愛知川支店の母体となる旧近江銀行は、伊藤忠兵衛、山中利右衛門、下郷傳平、阿部市郎兵衛ら近江商人が中心となって明治27年(1894年)に資本金50万円(現在の換算で約100万円)の株式会社として設立された銀行です。本店は将来的な発展を期待し大阪に置きました。
旧近江銀行愛知川支店は、本店に次いで開設され、大正15年(1926年)に中山道沿いの現在の場所に移転した銀行です。鉄筋コンクリート造平屋建で、建物内は天井の高い一室となっており、背面には二階建の金庫棟が接続しています。県内の鉄筋コンクリート造の建造物としては初期の時代のものです。設計者は不詳ですが、外観の中央部を枠で区切り装飾を集中させる意匠は、当時の関西圏で見られた新しい手法を取り入れたものとなっています。本建築は意匠、構造共に20世紀初めの関西の先進的な建築をよく表し、地域の近代化を象徴する存在です。
しかし、銀行として利用された期間は短く、銀行の閉店後は長らく工場等として使われました。平成30年(2018年)に整備改修された後は、愛知川宿の歴史的なまちなみの保全や新たな観光交流の拠点となる中山道愛知川宿街道交流館として保存活用されています。

中山道沿いにある旧近江銀行愛知川支店は、令和元年(2019年)9月10日付けで国の登録有形文化財に登録されています。同年12月18日には、旧近江銀行愛知川支店の国の登録有形文化財プレート除幕式が開催されました。県内でも近代化を象徴する歴史的建造物の一つであることが評価されています。

歴史文化博物館学芸員 竹村吉史

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