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壷中雑記(28)―歴史文化博物館から―~愛荘町で配布された引札~

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滋賀県愛荘町

歴史文化博物館では、9月から10月に企画展「引札からみる愛荘のまち」を開催しました。引札は、現在の広告の先駆けと言われていますが、今回は展示した引札から愛荘町の地域性を考えてみます。

■引札とは
江戸時代に登場した引札は、当初は文字だけの墨刷りで、文言も短く単純な表現でした。やがて明治時代に入ると、それまでの木版刷りから石版や銅版を用いた多色刷りに移行し、人々の関心を引き付ける鮮やかな絵柄が描かれるようになります。この豊かな色彩表現から、絵びらと呼ばれ、また年始に向けてめでたい図柄を用いたことから、正月用引札とも呼ばれています。

■秦荘地域の引札
秦荘地域では、蚊野で発行された引札の点数が最も多く、さらに目加田、安孫子、宮後、沖、野々目の引札が確認されました。蚊野は旧秦川村の中心地であり、秦川村役場が置かれていました。人々が集う地域であることから、商店も集中し、引札が効果的に配布されたと考えられます。
その秦荘地域では食料品、衣料品を取り扱う商品の引札が多く確認できました。その中で特徴的に出てきたのが、海産物や塩魚を扱っていた引札です。秦荘地域出身の商人たちは、他の都道府県へ営業に出ており、その一部は北海道まで進出していました。このことから秦荘地域に、商人が仕入れた海産物が入るようになり、その宣伝をねらって引札に記載されたのでしょう。さらに、唐箕(とうみ)を扱う引札も見られました。この地域では、江戸時代に目加田唐箕が開発されているため、その宣伝も見込んで配布したと考えられます。

■愛知川地域の引札
愛知川地域では、愛知川で発行された引札が最も点数が多いことがわかりました。さらに愛知川を中心に隣接する中宿、沓掛、市、東円堂、豊満の引札が確認できました。愛知川、中宿、沓掛のつながりは中山道の道筋であり、人々の往来が盛んであったことが伺えます。
次に愛知川地域では衣料品、食料品、日用品を取り扱う商店の引札がバランス良く確認できました。さらに少数ですが、運送業の引札も確認できます。中山道の宿場で、周辺の村々へのアクセスも容易であったことから、運送業の生業が成り立ったと考えられます。
また秦荘地域と比べると、板締絣や裁縫機械、インバネス婦人コート等、具体的な商品名を記載する引札が見られました。具体的に取扱商品を明記することによって、他の商店との差別化を図り、専門店としての発信をねらったと考えられます。
そして、輸入品が多数確認できるのは、鉄道が背景にあると考えられます。明治31年(1898)に近江鉄道の彦根駅から愛知川駅間が開通し、当時は愛知川駅が終点となっていました。彦根には東海道線(現在のJR琵琶湖線)が既に開通していることから、鉄道を通じて、様々な物資が愛知川地域に入ってきたのでしょう。

愛荘町立歴史文化博物館学芸員 梅本匠
(註)本稿の作成にあたっては、第41回企画展で借用・展示をした資料をもとに執筆をしています。

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