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壷中雑記(33)―歴史文化博物館から―~愛荘町を通るお参りの道・多賀道~

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滋賀県愛荘町

日本には、寺院や神社へ向かうお参りの道が数多く存在しています。例えば和歌山県・奈良県・三重県にまたがって存在する紀伊山地には、3つの霊場(吉野・大峯、熊野三山、高野山)があり、そこへ向かう参詣道が今なお残っています。
また、四国地方には、讃岐(現在の香川県)に生まれた空海(774年~835年)が修行を行ったとされる霊場の八十八カ所を巡礼するお遍路路が知られています。このようなお参りの道が愛荘町内にもあり、その一つに多賀道があります。

1.多賀道とは
多賀道は、多賀の名前が示すように多賀大社(多賀町)へお参りするための道のことをいいます。多賀大社の成立時期は不明ですが、奈良時代の歴史書である『古事記』や、平安時代に記録された『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』にその名前が記載されています。その後、鎌倉時代には、周辺の総鎮守となります。やがて、室町時代以降は全国的に知られるようになり、全国の人々から信仰の対象となりました。

2.多賀道と石の道標
石の道標は、全国からの参拝者を無事に神社へ導くために設けられたと考えられます。愛荘町内にも石の道標が8基確認され、自然石に文字を刻んだものや、成形された石に文字を刻んだものと、その形も様々な様相を示しています。また多賀道自体、様々な方向からの道筋が確認されています。愛荘町内においては、3本の道筋が推定されており、それらはやがて犬上郡甲良町北落で合流し、多賀大社へ至ります。
現在、これらの道筋を訪れてみると、生活の空間の中に溶け込み、その道の特徴を捉えるのは難しく、道標がかつての姿を偲ばせる資料となっています。道標は江戸時代以降に随時設置されたと思われ、設置年がわかるものとして、明治、昭和のものが確認できます。このことからも数百年もの間、人々が往来して親しんできた道であることが確かといえます。そして、これまでの人々が大切にしてきた道を、今後も継承していく必要があるといえるでしょう。

歴史文化博物館学芸員 梅本匠

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