■秋季特別展「愛荘町と文化財のこれまでとこれから」と講演会
歴史文化博物館では、11月1日から12月15日にかけて秋季特別展「愛荘町と文化財のこれまでとこれから」を開催しました。また、11月17日には展覧会の講演会を行いました。
▽秋季特別展「愛荘町と文化財のこれまでとこれから」
11月1日から12月15日にかけて、歴史文化博物館では、秋季特別展「愛荘町と文化財のこれまでとこれから」を開催しました。
文化財保護法の第2条では、文化財の種類の主要なものを「有形文化財」、「民俗文化財」、「記念物」、「文化的景観」、および「伝統的建造物群」と定め、これらの文化財のうち、重要なものを国・都道府県・市町村が、指定・選定・登録し、重点的に保護しています。
そして、土地に埋蔵されている文化財については、「埋蔵文化財」、文化財の保存・修理に必要な伝統的技術・技能を「文化財の保存技術」と呼び保護の対象としています。今回は、文化財の今後の保存と活用についての展覧会を開催しました。
▽秋季特別展の講演会
11月17日、滋賀県文化財保護課細川修平氏が「発掘調査と文化財の保護―愛荘町の歴史を探る―」と題し、愛荘町を含む湖東地域の古代史とその特徴、また今後の文化財の活用をどうしていくべきかという内容について、講演され、26名が参加されました。
愛荘町の歴史は、まず、663年(天智2年)に白村江の戦いで唐と新羅が侵攻する百済の援軍に行き、戦死した愛知郡出身の朴市田來津(えちのたくつ)が、日本書記に登場します。
また、湖東東部に残る6~7世紀の古墳には、3つの特徴があります。
1つ目は、地域を総括する明確な首長墓系列の存在で、長塚古墳や勝堂古墳群があります。2つ目は、扇状地での小水源を求めて分住する集団が、それぞれ古墳群を造営します。個性のある木芯粘土槨の埋葬施設がある塚原古墳群などの存在です。3つ目は、298基以上ある金剛寺野古墳群など圧倒的な大規模な古墳群が造られます。
そして、白村江の敗戦により律令国家の体制が変容していきます。天武・持統朝の国家プランによる南北地割を基盤とする野々目廃寺、畑田廃寺、軽野塔ノ塚廃寺・妙園寺廃寺、目加田廃寺、小八木廃寺などの白鳳寺院と方格地割が出現します。後世に愛知井と呼ばれる南北灌漑水路もこの頃整備されます。こうして扇状地の開発が進み、管理者となった依知秦氏が、この地域の代表・管理者として郡司層となります。
こうした愛荘町の歴史を後世に伝えていくためには、自分で体験すること、また工夫して土地に新たな価値を与えることの必要性を細川氏は述べられました。
歴史文化博物館学芸員・竹村吉史
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