文字サイズ
自治体の皆さまへ

【特集】新春対談 地域に根づく魅力の再発見 ~100年先の未来へ~(1)

1/17

滋賀県東近江市

東近江市長 小椋 正清
太郎坊宮 奥田 素之 宮司
昨年12月に2年間にわたり行われた聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会の事業のフィナーレを迎えました。
今回は、聖徳太子の伝承が残る太郎坊宮(小脇町)を訪れ、小椋市長と奥田宮司に対談していただきました。

■一年を振り返って
市長:5月に新型コロナウイルスが5類に移行し、意識的に普段の生活に戻そうということを市民の皆さんに呼びかけてきました。そういった意識で、中断や縮小していたジャズフェスやコトナリエ、聖徳まつりなどのさまざまなイベントが開催されてきましたが、まだ完全には戻っていません。これからそのおくれを取り返すべく、必死にならないといけない時期だと思っています。
奥田:令和2年に、聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会を立ち上げ、市長には委員長にご就任をいただきました。お陰をもちまして、令和4年から5年にかけて、滞りなく諸事業を収めることができました。太郎坊宮では、11社寺に集まっていただき、神仏習合法要を行いました。世界が疫病や戦争で悩んでいる中、「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の教えを守って、世界の平和と繁栄をお祈りできたことは、大きな成果であったと思っています。

■太郎坊宮の魅力や見どころ
奥田:大正年間にまとめられた太郎坊宮の記念誌には、「聖徳太子しばしば当山を行啓し、天祖の遺跡を追想し、山上巨巖の奥に廟社を建立し給う」これが起源であると記されています。現在も東近江市の天然記念物として、夫婦岩を登録していただいていますが、その奥にある本殿ともに、一帯は近江高天原と呼ばれる神聖な場所とされています。ここにお祭りされている神様は、「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」という長いお名前で天照大神様の第一番目のお子さんです。勝つことの喜びを表したお名前であることから、勝運の神様として信仰されています。
三角形の秀麗な山容は美しく、本殿からの眺望は絶景です。麓から続く石段に連なる木造鳥居の多くがずいぶん傷んでいたことから約150基の新しい鳥居を奉納していただき、昨年末に修復がかないました。
市長:私にとって太郎坊宮は、本市のランドマークの一つです。大変荘厳な神様が祭られており、聖徳太子とのゆかりもあり、歴史的な価値があります。また、登ってきたときの参集殿から見る見事な風景は、四季折々のバリエーションを見せてくれます。本殿前にある夫婦岩の伝説を感じながら岩と岩の間をすり抜けるときのスリルをぜひ皆さん体感していただきたいと思います。

■聖徳太子1400年事業の手応え
奥田:の取組を通してこの地域に思いのほか多くの史跡や伝承があることを知り、そして太子様の理想が人々の心の中に根づいているということを感じました。この事実を皆さんとともに思い起こして、地域の価値ある観光資源としていいかしていくことがこの事業なのだと理解しました。
コロナ禍と重なってしまいましたが、盛りだくさんのイベントを執り行っていただき、今後その成果をしっかりと固め、みんなで次の1500年につなげていけたらという思いです。
私たちも、神仏習合法要を今後も続け、聖徳太子の和の心を未来につなげたいと思っています。
市長:委員長として関わらせていただいて、私自身大いに勉強になりました。「和を以って貴しと為す」という文化が、今こそ必要な考え方ではないかと感じました。
一昨年5月の太郎坊宮でのオープニングセレモニーを皮切りに、昨年は聖徳太子の伝承が全国一多い滋賀県の中でも特に集中している東近江地域で、11の社寺が一緒になって神仏習合法要を執り行いました。また、名古屋駅前の百貨店で「お砂踏み」を行い、東近江地域だけではなく、広く由緒ある社寺の存在を知っていただく機会となりました。これは本当になかなかできることではない貴重なことです。聖徳太子を中心にしているからこそできることで、この聖徳太子のつながりを聖徳太子薨去1500年に向けて引き継いでいきたいという思いです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU