■旧和中散本舗の製薬機械
江戸時代、東海道石部宿と草津宿の間に、梅ノ木立場(うめのきたてば)という旅人の休憩場所がありました。
梅ノ木立場の名物として、全国にその名を知られたのが道中薬和中散(どうちゅうやくわちゅうさん)です。
和中散は、当薬(とうやく)や陳皮(ちんぴ)など複数の薬草を細かく砕いて調合する散薬です。江戸時代の初めに永原御殿(野洲市)に泊まっていた徳川家康の腹痛を治したという伝承があり、名薬として知られました。旧和中散本舗にある重要文化財の大⻆家住宅には、江戸時代後期に設置された製薬機械が残されています。
この製薬機械は大きな歯車を動力として石臼を動かし、薬草を粉砕するものです。その動く様子は、大阪天下茶屋の和中散屋の様子が描かれた『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』に見ることができます。風で動く風車や水で動く水車があるように、この機械は人力でうごく「人車製薬機」というものです。
大⻆家住宅の人車製薬機は、通りに面した西ミセに設置されています。大⻆家住宅の修理の記録が残る『古来作事並諸覚帳(こらいさくじならびにもろもろおぼえちょう)』によれば、1831年(天保2)に、それまで店舗奥の作業場にあった機械をミセの間に動かしたものであることがわかります。
通りから見て手前側の板の間に花崗岩の石臼が設置され、その奥に小歯車と大歯車があり、さらに奥の土間に直径4.28mの人車が設置されています。
この人車に人が入って歩くことで回転が生じ、その動きを人車軸の大歯車から、中間軸の小歯車と大歯車に伝え、さらにその動きを石臼に取り付けた石臼大歯車に伝えて、石臼を動かすのです。令和4年に実施された調査によると、人車が3回転すると石臼が10回転し、その動力は2人で360ワット(0.5馬力)になると算出されました注。
通りに面し、大きな歯車が石臼を動かす様子、そして石臼によって粉砕される薬草のにおいは、街道を行く江戸時代の旅人を惹きつけたことでしょう。
江戸時代の人車製薬機は現存しているものが他になく、機械と人間の関わりを知る上で貴重なものであることから、令和5年8月に日本の機械遺産に認定されています。
問合せ:スポーツ・文化振興課
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