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りっとう再発見198

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滋賀県栗東市

■足利義尚(あしかがよしひさ)「鈎(まがり)の陣(じん)」跡地を巡る歌碑と永正寺(えいしょうじ)
市役所正面玄関を入り右奥に進むと1体の兜・甲冑が展示されています。
本市騎馬行列で室町幕府第9代将軍足利義尚公役が羽織ったものです。瞼を閉じると、足利家累代の鎧、赤地金襴(あかじきんらん)に桐唐草(きりからくさ)模様の直垂(ひたたれ)をまとった往時の義尚公の颯爽(さっそう)とした姿が浮かびます。義尚は銀閣寺を建立した8代将軍足利義政と日野富子の子として寛正6年(1465)に生まれ、「応仁・文明の乱」の最中9歳で9代将軍に就きました。幕府の権威が衰退していく中、将軍義尚は復活を目指し、長享元年(1487)9月軍勢と幕府の実務者を率いて、守護六角高順(ろっかくたかより)討伐のため近江に出陣。影響力が強い父からの自立が理由ともいわれています。坂本に着陣後、鈎の安養寺(東方山安養寺)へ、さらに鈎の真宝館(しんぽうかん)に移りました。
長享3年(1489)3月に没するまでの1年半、本市が政治の中心となり地名をとり「鈎(まがり)の陣所(じんしょ)」と呼ばれました。陣とは軍勢の駐屯地で、将軍の居所である御所を中心にいくつもの陣があり、上鈎や下鈎にその名残の土塁や堀が残っています。
上鈎池西の「鈎陣所跡」公園には歌碑があり、義尚は着陣後に父へ、「坂本のはまちを過てなみ安くやしなふ(養う)寺に住とこたへよ」と詠み、父義政は都より「やがてはや國治まりて民安くやしなう(養う)寺も立ちそかへらん」と返歌。ともに陣所を構えた「安養寺」を織り込んでいます。歌碑からは、永く都を離れ陣所に滞在し、将軍権威復活と自立に悩む若き義尚の心の内がしのばれます。
公園前は旧東海道が通り、川辺、目川を経て草津本陣に至ります。将軍が住んでいた御所跡は、この地ではなく上鈎の永正寺付近が有力とされます。正門前には説明板があり境内は落ち着きあるたたずまいです。当時の将軍御所では政治や裁判などが行われており、本市が日本の「首都」であったようです。本市の華やかだった530余年前の出来事に想いをはせ、義尚ゆかりの地、旧東海道を巡ってみませんか。

問合せ:
商工観光労政課【電話】551-0236【FAX】551-0148
永正寺【電話】552-0071

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