■阿弥陀寺(東坂)の天照仏(てんしょうぶつ)
応安2年(1369)に栗太郡河辺(栗東市川辺)で生まれた隆堯(りゅうぎょう)(1369~1449)は、中世の近江国(滋賀県)での浄土教の発展に貢献した高僧です。9歳で比叡山に登り、修行の末、「法印(ほういん)」という位を得た隆堯は、石山寺に参籠(さんろう)している時に見た夢をきっかけに浄土教に帰依しました。その後、金勝山に登って金勝寺の域内に浄厳坊(じょうごんぼう)という草庵(そうあん)を結び、浄土教の教えを説くようになった隆堯のもとには、多くの人々が訪れたと言います。当時の金勝寺は女人結界(にょにんけっかい)の地とされていたことから、浄土教の教えをより広めたいと考えた隆堯は、金勝山の麓である東坂にも草庵を結びました。この草庵は、後に阿弥陀寺と名付けられ、近江の浄土教の中心的な地位を築いていくこととなります。天下統一を目前に控えた織田信長(1534~82)により、安土の浄厳院(じょうごんいん)が開かれたことで、阿弥陀寺の地位は失われますが、その後も、東坂のみならず周辺地域の浄土教信仰の中核的な位置付けを保ち続けました。
このような歴史を持つ阿弥陀寺は、「天照仏」と呼ばれる木造阿弥陀如来立像(栗東市指定文化財)を本尊としています。この仏像は、隆堯が伊勢神宮に参籠している際に天照大神(あまてらすおおみかみ)から授かったものとされ、近江への帰路に光明を放ったという言い伝えもあって天照仏と呼ばれています。仏像そのものは平安時代後期のものですが、表面の盛り上げ彩色は隆堯が活動した時代に施されたものと考えられます。草庵を結んだ際に迎え入れ、阿弥陀寺の本尊として守り伝えてきたのでしょう。現在は、栗東歴史民俗博物館に寄託されていますが、折に触れて展示され、地域で守られてきた信仰の輝きを今に伝えています。
通史展示「栗東の歴史と民俗」(第1展示室)で、阿弥陀寺「木造阿弥陀如来立像(天照仏)」(栗東市指定文化財)を展示しています。2月24日(休)まで。
問合せ:歴史民俗博物館
【電話】554-2733【FAX】554-2755
<この記事についてアンケートにご協力ください。>