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写真でたどる ふるさと再発見 No.49

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滋賀県甲良町

【テレビがやってきた】
昭和28年(1953)にテレビ放送が開始されました。因みに昭和27年発売された据え置き型と卓上型白黒テレビの価格は据え置き型で29万円、卓上型で23万円。当時の男性の一ヶ月の勤労所得は約11,000円であり、いかに当時のテレビが高嶺の花だったかわかります。最初の数年は、価格も高く一般の家庭が購入するまでにはいたりませんでした。
テレビの初期は「街頭テレビ時代」と呼ばれ街角に設けられた街頭テレビを大勢で見るのが普通でした。写真は昭和31年の彦根中央公園(現外馬場公園)です。設置された大阪テレビ(現朝日放送)の街頭テレビに見入る黒山の人だかりが写っています。
テレビを持つ家は、町内でも電気店や散髪屋さん等の商売屋さんや裕福な一部の家に限られていました。
団塊の世代以前の方の多くはテレビのあるお家に、隣近所の人が集まって見る「近隣テレビ視聴」の経験をお持ちだと思います。プロレスでは力道山の空手チョップ、相撲やボクシングの実況中継をみんなで応援し、熱狂しました(1)。
昭和31年度の「経済白書」では「もはや戦後ではない」というキャチフレーズが使われました。「神武景気」が始まり、昭和33年頃から高度経済成長の時代を迎え、名神高速道路、東海道新幹線の建設、東京オリンピックの開催と個人所得も徐々に増加していき、明日に希望を持ち、輝く時代を迎えます。全国に中継アンテナが設置され、放送局も増加しました。テレビも量産体制が整い、価格も手を伸ばせば届くくらいになりました。(昭和33年14型テレビ…66,500円 男性の一ヶ月の勤労所得約20,000円)

テレビの普及は、昭和34年の皇太子明仁親王(平成時代の天皇)の結婚パレード(2)が一つのきっかけとなりました。このパレードを家庭で見るために「お茶の間テレビ時代」となり、以後急速に普及しました。
テレビ番組は「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」「てなもんや三度笠」「月光仮面」「少年ジェツト」「まぼろし探偵」「怪傑ハリマオ」等々、テレビは子どもから大人までが楽しめる大衆文化の中心となりました。子どもたちは月光仮面のように風呂敷のマントを結び月光仮面の唄を歌いながら遊びました。
このようにして、テレビはラジオに変わって茶の間の中心に置かれ、娯楽と情報をもたらしてくれる重要なメディアになりました。
参考文献:写真で綴る湖国の原風景、彦根市史、一億人の昭和史6
資料提供:ノセデン

問合先:ふるさとプロジェクト(図書館)
【電話】38-8088【FAX】38-8089

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