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写真でたどる ふるさと再発見 No.56

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滋賀県甲良町

【念称寺の文化財】
葦葺きの大屋根が圧倒的な存在感を示す下之郷の念称寺本堂です。安土の繖山(きぬがさやま)にある西国32番札所「観音正寺」の本堂を移築したものです。
寺伝によると、もとは天台宗の比叡山延暦寺の末寺でしたが、文明の頃(1469~1487)、蓮如上人が浄土真宗の教えをひろめるためこの地方へ来られた時、この寺に住む行心と言う僧が深く帰依して一山を率いて浄土真宗に改宗しました。
明治8年下之郷村の大半が焼失するという大火災が起き、その災禍で念称寺も焼失してしまいました。ちょうどその頃、観音正寺では境内を拡張し本堂を新築する工事が始められていました。門徒の一人が単身観音正寺へ参り、窮状を訴えたところ、旧本堂を譲り受けることになりました。そこで門徒の人々は観音正寺の旧本堂の資材を荷車で下之郷まで運び、旧来のまま六間東向きに移築されたのが現在の念称寺本堂です。真宗の本堂にするために内陣など少し改築されていますが、本堂の廊下から見上げる垂木(たるき)や斗(と)きょう(柱の上にある軒などの上部構造をささえる部材)、内陣の四天柱の彩色模様などにも室町時代の建物の様式が残っているため県指定文化財となっています。
堂の中の丸柱には西国巡礼者が木札を打付けた無数の釘あとが残っています。
また、本堂には町指定文化財の阿弥陀如来像が安置されています。
阿弥陀如来は極楽浄土におられ来世の幸せを約束してくださる仏として、平安時代中頃から信仰が盛んになりました。念称寺の阿弥陀如来像は一本の木材で頭と胴体を彫りだした「一木造」です。全体に黒色に塗られた平安時代の木造です。この木造は、愛荘町の軽野神社(堅井の宮)に祀られていましたが、明治維新で神仏分離になった際、念称寺に譲り受けて本尊にされました。
令和3年、台風による屋根の傷みや耐震工事も必要であるため改修工事が行われ、現在の姿になっています。
参考資料:藤谷一海「念称寺歴史」 町教育委員会「甲良の文化財」

問合先:ふるさとプロジェクト(図書館)
【電話】38-8088【FAX】38-8089

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