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自治体の皆さまへ

いつ来るかわからない災害に備えて「私」ができること(1)

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滋賀県甲賀市

■「私」が未来に伝える
◆忘れてはならない、あの日の出来事を~多羅尾豪雨水害から70年~
昭和28年8月14日から翌15日かけての豪雨により、死者44名、重軽傷者130名以上そして、多くの家屋も損害を受けた歴史に残る災害から今年で70年を迎えます。
今後このような大きな被害を出さないためにも、一人ひとり何ができるか考えるきっかけになるよう“お伝えします”。

◇私たちの平和な村が“一瞬”にしてメチャクチャになりました
語り部 田中吏由子(たなかりゆこ)さん
家が菓子屋をしており、お盆の時期もあって、注文もたくさん入り忙しくしていました。その日の夜は疲れ切って寝ていましたが、雨脚が強くなった頃消防の方が来て起こしてもらいました。その後、作った菓子を家族総出で2階へ運んでいましたが、どんどん家に浸水する状況から運ぶのをやめ、避難に切り替えました。自宅が川付近ということもあり、避難のため外へ出た時には、道はすでに濁流の川になっており、ごみなどで前を進むことすら困難な状況でした。避難はできましたが水が屋根のところまで到達しており自宅は流されてしまいました。
数日後、流された自宅の状況を確認しにいったところ、春に卒業したばかりの紫香楽中学校の「卒業証書」が雨にも泥にも浸からずキレイに残っており、見つけた時は涙が止まりませんでした。

◇小学生が語り継ぐ~オペレッタ活動~
多羅尾小学校では、教育活動の核として芸術創作活動「オペレッタ」に取り組まれています。
平成6年、平成14年、平成23年には多羅尾豪雨水害をテーマとした演目「あの杉の木のように」を披露されています。

◇今でも「豪雨」と「雷の日」は当時のことを思い出します
語り部 高畑関弘(たかはたせきひろ)さん
親戚みんなが集まるお盆の14日から15日にかけての夜中でした。雲が下まで降り、空がなく、バケツをひっくり返したような豪雨とものすごい音の雷が多羅尾村を襲いました。
夜が明けると知っている多羅尾村の景色はありませんでした。避難をしている途中、山津波が起き、ごみや木くずなどの泥水が一瞬にして家をのみこみ流され、目の前では助けたくても助けられない状況が起こりました。あの時の光景は今でも忘れられません。
近年全国各地で発生している局地的豪雨や台風について、今は昔と違ってケータイひとつで状況を把握することができます。個々での備えや早めの行動はもちろんですが、地域で避難訓練をするなど情報を共有し「みんなで助け合い」をしていくことが大切だと思います。

◇小学校6年間のオペレッタ活動の中での一番の思い出です
中森繁樹(なかもりしげき)さん
平成14年(当時小学6年生)の時に、村長役を演じました。
実際に被災された方々にお話しを伺ったり、被害が大きかった現場に行ったりと肌で感じたことを元に自分たちでセリフを作成しました。
「あの杉の木のように」の演目をするにあたって、実体験が元になっていることと被災された方も観に来ていただいたこともあり、中途半端にはできないという強い気持ちで挑んだことが思い出として残っています。

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