甲賀市と言えば「忍者」。世界のキラーコンテンツです。
平成29年に日本遺産に認定された「忍びの里
伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-」が、昨年の7月に文化庁から他の地域のモデルとなる重点支援地域に選定されました。また、2025年大阪・関西万博を控える今、国内外から注目されています。
今回の特集では、2月の忍者月間に合わせてみなさんに忍者を身近に感じてもらえる歴史やイベントなどを市内で活躍中の「今、会える忍者」と一緒にご紹介します。
■拙者たち、令和の時代に“会いに行ける忍者”でござる
□ナチュラル・ボーン忍者 北斗白影(ほくとしろかげ)
手裏剣や刀など、本物の武器や道具を使っての実演を忍者ショーやメディア等で披露しています。
普段は“甲賀の里忍術村”にいるのでぜひ遊びに来てください!!
□マスター・オブ・忍者 嵩丸(たかまる)
甲賀市地域おこし協力隊。
10年勤めた大手IT企業を辞めて、三重大学大学院忍者忍術学コース修了。2021年4月から甲賀市へ移住し、忍者・忍術の研究や忍者での観光を盛り上げています!
□パフォーマンス忍者 幸ノ介(ゆきのすけ)
BRAKE DANCE(ブレイクダンス)と甲賀流忍者の所作や殺陣などを融合させた新しいパフォーマンスをしている“甲賀忍者隊”のリーダー。
甲賀市を盛り上げるために日々奮闘中!
拙者たちに会える場所はP4-5をみるのじゃ!!
■市内に潜む、忍者にまつわる歴史~あなたも忍者の末裔かもしれないの巻~
「拙者たちが説明しよう!」北斗白影→白
「お呼びでござるか!」嵩丸→嵩
□―なぜ忍者が甲賀の地で有名になったの??
嵩/室町時代後期の長享(ちょうきょう)元年(1487年)と延徳(えんとく)3年(1491年)に起きた「鈎(まがり)の陣」で甲賀の忍者が活躍したことからですね。第9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)率いる室町幕府軍が近江の大名である六角(ろっかく)氏を懲らしめるために攻めたものの、六角氏の味方をした甲賀の忍者たちが将軍に手負いのケガをさせて追い払ったことから、甲賀流忍者の名が知れ渡ったとされています。
白/甲賀の忍者めっちゃすごいやん。幕府軍に勝った例って今までの歴史の中でも聞いたことないわ。どんな戦法で幕府軍を追い払ったん?
嵩/「亀六之法(きろくのほう)」と言われる戦法ですね。「亀六之法」は名前のとおり、亀の頭・手足・尾の6つに例えられ、甲羅から出したり引っ込めたりする様子をまねたゲリラ戦法のことを言います。この戦法と山に囲まれた甲賀特有の地形を生かして幕府軍を追い払ったと言われているんですよ。
白/戦術からして甲賀の忍者って賢いな。インテリってやつやね。
嵩/個人的なイメージでは、同じ忍者で有名な伊賀忍者は織田信長にも抗うほどの戦士系、甲賀は時流を冷静に読む賢者系の忍者だと思っています。
この「鈎の陣」で活躍した忍者が53人いて、その忍者たちの功績を称え「甲賀五十三家(こうかごじゅうさんけ)」と呼ばれているんですね。
またその中でも、将軍が寝ているところに夜襲を仕掛けた精鋭忍者21人を「甲賀二十一家(こうかにじゅういっけ)」と呼んでいるんですよ。
□―今も「甲賀五十三家」と「甲賀二十一家」の歴史が市内に残っている??
嵩/「忍者」と言えば、甲賀町、甲南町のイメージが強いと思うのですが、水口町や土山町、信楽町そして隣の湖南市にも先ほど登場した甲賀五十三家や甲賀二十一家の苗字がそのまま地名だったり、苗字として受け継がれているんですよ。例えば、伴さんとか大野さんとか夏見さんとかですかね。
白/500年以上たった今でも、地名であったり苗字が受け継がれてるってすごくない?
嵩/調べると、甲賀市のみなさんならピンとくる地名や苗字の方がたくさん出てくるはずですよ。
白/もしかしたらあなたも忍者の末裔かもしれないってことやんな?これは調べてみるしかない!!
もし忍者の家系だった場合、ぜひとも家の中をもう一度しっかり調べてみてほしいね。神棚の奥や押し入れなどにもしかしたら忍者にまつわる何かが見つかるかもしれないからね。そして、もしやこれはと思うモノが見つかったらぜひとも我々“NinTube”にご一報お願いします。
甲賀五十三家 もしくは 甲賀二十一家〔検索〕
□拙者たちのYouTubeチャンネルで「忍者」をもっと知るでござる!!
今回紹介した忍者の歴史以外にも、みなさんが忍者を身近に感じることができる内容や大喜利・コントなどの面白コンテンツを投稿しているでござる。ぜひともチャンネル登録をよろしくお頼み申す!!
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