■忍者史料をひもとく(3)岸和田藩の甲賀者
日本遺産に認定されている甲賀忍者。その特徴である「リアル忍者」を根拠づける古文書を紹介するシリーズの第3回目です。今回紹介するのは「上野太真記(うえのたまき)家文書」(全271点)です。
上野家は、だんじり祭りで有名な岸和田(きしわだ)に拠点を構えた、大名岡部(おかべ)家に仕えた甲賀者の一人で、甲賀の総社・油日神社の運営にも関わっていた典型的な甲賀の土豪家です。
岸和田藩の甲賀者は「甲賀士(こうかし)五十人」といい、その名の通り50人で構成されていました。この甲賀士は、まだ美濃大垣(みのおおがき)城主であったころの岡部氏がその由緒を聞きつけ、江戸幕府の甲賀百人組与力(よりき)の梅田・和田両氏の仲介により、寛永(かんえい)9年(1632)に「筋目(すじめ)」(確かな家系・家柄)の者50人を雇用したことに始まります。彼らは藩から専用の鉄砲と具足(ぐそく)を与えられ、鉄砲隊として軍団の一翼を担いました。
彼らが一般的な藩士と異なっていたのは、藩から扶持(ふち)(給料)をもらう身でありながら、甲賀に住み続けたという点です。尾張(おわり)藩に仕えた甲賀者もそうでしたが、甲賀在住の武士であることに大きな意味を見出していたようですそのため、甲賀士五十人の関連資料は、岸和田ではなく甲賀にその多くが残されているのも特徴です
上野太真記家文書には、そうした経緯はもちろん、鉄砲の修練や実際の藩兵としての活動、また油日神社を運営する上野同名中(どうみょうちゅう)としての活動などに関するものが多く含まれており、貴重です。
今回紹介した古文書は、2019年刊行の『上野太真記家文書』および2021年刊行の続編『上野太真記家文書II』の、2冊の報告書に収録されています。甲賀の二月といえば「忍者月間」。この機会に「甲賀士」に触れてみてはいかがでしょうか。
※報告書の購入は、甲賀流リアル忍者館(【電話】70‒2790/【FAX】70‒2659)まで。
問合せ:歴史文化財課普及活用係
【電話】69-2252
【FAX】69-2293
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