文字サイズ
自治体の皆さまへ

KUSATSU 歴史ギャラリー[No.191]

35/37

滋賀県草津市

■本陣のお仕事 ~大名、瀬田川を渡る~ 
瀬田川に架かる瀬田橋は、古代より交通の要衝であり、多くの旅人や荷物が往来してきました。江戸時代には、大津を拠点とした、草津宿を含む草津村の領主であった膳所藩が橋の警備を担当し、架け替えは同藩が中心となって行われました。近世を通じて橋の架け替えは18回行われたとされ、その際、東海道は往来できなくなるため、人馬輸送は塩津・大浦(長浜市)、海津・今津・船木・大溝(高島市)、八幡(近江八幡市)、堅田(大津市)の琵琶湖周辺の主だった「八カ浦」が渡し船を仕立てて行われました。草津宿本陣(田中七左衛門(しちざえもん)本陣)には、瀬田橋架け替え時の大名の渡し船に関連した資料が約30点残されており、これらは平成30年度から4年間かけて行われた『草津宿本陣歴史資料調査』で発見されました。
この資料は、草津宿・田中七左衛門本陣から肥後国宇土(ひごのくにうと)(熊本県宇土市)に陣屋を構えた細川家の川渡し役人に宛てた「覚」の控です。内容は、大名から拝領した渡し船に対する謝礼金を関係者に分配したことを伝えており、関係者には八ヶ浦の者たち、琵琶湖の水運に携わっていた大津代官の手代(てだい)や膳所藩の家臣、そして、田中七左衛門本陣および大津宿・大塚嘉右衛門(かえもん)本陣とそれぞれの手代などが記されています。この類の「覚」は他にも残されており、草津宿・大津宿にもう1軒ずつあった田中九蔵本陣、吉本弥四郎本陣の名も見えることから、草津宿・大津宿の本陣は、瀬田橋架け替え時の大名の渡し船に関わっていたことが分かってきました。
江戸時代の本陣は、大名や公家といった貴人たちが旅の途中に利用した休泊施設でしたが、本陣はただ休泊者を受け入れただけではなく、前述のようにさまざまな業務をこなさなければなりませんでした。
史跡草津宿本陣では、10月14日(土)~11月26日(日)開催の本陣四季彩々・秋の段の企画展「本陣のお仕事~日常編~」で、本陣の日々の業務の他、今回紹介した大名の渡し船に関する資料も展示しますので、ぜひご覧ください。

問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
【電話】567-0030
【FAX】567-0031

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU