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くさつ歴史ギャラリー[No.189]

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滋賀県草津市

■歌川国芳(くによし)画 東海道五十三対 草津~俵藤太(たわらのとうた)と百足(むかで)退治
東海道五十三対のシリーズは、歌川派の広重・三代豊国(とよくに)・国芳の合作で、それぞれの宿場の伝説や史話を下部に描き、上部には絵詞(えことば)を入れて解説を加えています。絵詞の部分の囲みは、扇型や団扇(うちわ)、海老、角丸長方型、雪輪の六種類があります。草津は海老の囲みで詞書(ことばがき)が記され、絵師は歌川国芳、版元は団扇問屋でもあった海老林(海老屋林之助)です。
さて、五十三対の草津では俵藤太と百足退治伝説を取り上げています。『太平記』にも記され、室町時代の「御伽草子(おとぎぞうし)」の一つ『俵藤太物語』にある伝説です。俵藤太は平安時代の武将藤原秀郷(ふじわらのひでさと)で、延喜8(908)年秀郷が瀬田橋を渡ろうとしたとき、龍が湖面から女性の姿になって現れ、野洲郡にある三上山を七巻半もする大きな百足退治を依頼。秀郷はこれを首尾よく射止め、そのお礼として湖底にある龍宮に案内され饗宴(きょうえん)を受けました。そして、俵藤太の由来ともなった財宝の尽きることのない俵や、太刀、鎧、釣鐘(つりがね)などを授かりました。このうち、釣鐘は自らが信仰する三井寺に寄進。その後は俵や巻絹は尽きることはありませんでしたが、ある人が俵の底をたたいたところ、小さな蛇が現れ、それまで尽きることのなかった俵などの穀物が、再び出ることはなくなったといわれています。
秀郷が龍宮で饗応(きょうおう)を受ける光景は『東海道名所図会』の挿絵にも「秀郷龍宮城に到る」と紹介されています。歌川国芳の描く「東海道五十三対草津」では、白波が寄せる湖面から現れる長髪の龍女。陸から俵藤太が弓を手に、龍女を眺める光景が、そして背後には、伝説の舞台となった瀬田橋のシルエットが描かれ、上部の海老で囲まれた絵詞には、伝説の概要が記されています。
「東海道五十三対」は、街道筋の風景を描いたシリーズとは異なり、伝説や史話を取り上げた企画で相当インパクトがあったものと推察でき、歌川広重・二代歌川豊国の「双筆五十三次」など、物語性をもつ浮世絵なども人気を博したと考えられます。
近江の街道筋には、土山の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)伝説や三井寺弁慶の引きずり鐘伝説など、他にも多くの伝説や史話が残り、浮世絵や名所図会に取り上げられています。これらは、草津宿街道交流館で8月27日(日)まで開催中の「街道とものがたりふくらむ旅へのあこがれ」で紹介していますので、ぜひご覧ください。

問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
【電話】567-0030
【FAX】567-0031

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