■古代の製鉄用木炭窯(もくたんがま)
市域南東部の瀬田丘陵には飛鳥(あすか)時代後半から奈良時代にかけての製鉄遺跡が多く分布しています。このうち野路小野山(のじおのやま)製鉄遺跡(野路八・九、野路東五・六)、観音堂(かんのんどう)遺跡(野路東二)、木瓜原(ぼけわら)遺跡(野路東一)では調査により、当時の鉄づくりの様子が明らかになってきています。
原料である鉄鉱石と木炭を製鉄炉に入れ、長時間加熱して鉄素材を作ります。現地の各所には、木炭を生産するための木炭窯が構築されます。
野路小野山製鉄遺跡の一号木炭窯は、平坦地に築かれ、細長い窯の側面に多くの穴が開く「横口付木炭窯(よこぐちつきもくたんがま)」と呼ばれる窯で、古い時期から用いられます。観音堂遺跡の木炭窯も横口付木炭窯ですが、野路小野山製鉄遺跡の例より大型で、窯が傾斜を持ちます。
野路小野山製鉄遺跡の三・四号木炭窯は、横口の付かない窯で、V字形に二基が配列されています。
木瓜原遺跡の木炭窯は、側面の一カ所に穴の開く登り窯状で、横口の名なごり残と考えることもできます。
このような窯の形の違いは、時期ごとに変化した結果と考えられ、古代国家を支えていたといわれる瀬田丘陵の製鉄遺跡では、絶えず製鉄技術の革新が行われていたことがうかがえます。
問合せ:歴史文化財課(6階)
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