■草津市、ついに誕生す―「草津市設置に関する申請書」
昭和29(1954)年10月15日、栗太郡の志津村・草津町・老上村・山田村・笠縫村・常盤村が合併し「草津市」が誕生しました。その準備が驚くべきスピード感で行われたことは、前回も紹介したとおりですが、今回取り上げるのは市の設置に当たって提出された「草津市設置に関する申請書」です。
「申請書」の正本は県に提出されたため、現在、市が所蔵しているのはその控に当たります。A5版、約240ページの冊子で、全編が謄写(とうしゃ)版(ガリ版※)で刷られています。
内容は草津市設置の理由書に始まり、新市設置についての各町村議会の議決書と会議録の写し、市名選定の理由、関係町村の現況や住民の意向などです。
理由書では、国鉄の電化進行をはじめ、交通の便が良くなっていること、上水道の完成が近いことを挙げて「京阪の住宅地帯として都市的形態が築かれることは必至」としています。その上で町村の合併により「農村地帯を合体」「農業経営の改善」を進め「京阪大消費地に直結」「供給源としての力を強化」して「名実ともに田園都市の名に副(そ)い、以て住民の福祉を増進し、行財政力を昂揚(こうよう)して、地方自治の確立を期するものである」と謳っています。
「草津市」の名付けの理由には「国鉄駅名を始め、各官衙(かんが)がすべて草津の名称を冠し、而(しか)も草津は往古の昔から東海道・中仙道の分岐点で、交通の要衝で、東海道五十三次の宿場として、その名は天下に普(あまね)く知られており、新市発展の表象として、合併促進協議会において満場一致選定された」とあります。
同年9月11日、この「申請書」が「草津市建設計画書」とともに県に提出され、24日には県議会にて可決。無事に10月15日から草津市制がスタートしました。県が示した一町四村からなる「草津町」案を一転、常盤村を加えた「草津市」の誕生をめざしてから、わずか51日目のことでした。
ちなみにこの時点では、渋川は「治田村」の一部として、同年10月1日に成立した「栗東町」となっています。住民らは草津市への合併を望んだものの、村を分かつ合併を認めない県の意向があったためです。約2年後の昭和31(1956)年9月1日、渋川地区は分離合併し、草津市となりました。
この「草津市設置に関する申請書」は、草津宿街道交流館で開催している秋季テーマ展「草津の70年」で展示しています。
※ロウ紙に鉄筆で文字を書き、インクで刷る印刷装置。コピー機の普及以前に広く使われた
問い合わせ先:草津宿街道交流館(草津三)
【電話】567-0030
【FAX】567-0031
<この記事についてアンケートにご協力ください。>