■県内最古の石造道標
県内最古の年号が彫られた道標(道しるべ)が市内にあることを知っていますか。
それは、立木神社(草津四)にある延宝8(1680)年の年号が彫られた道標です。この道標は東海道と中山道の分岐点にあったと思われますが、現在分岐点にある文化13(1816)年の道標が建てられた際に移された可能性があります。
高さは170cm、南面には「梵字(カンマン)延宝八庚申年十一月吉日伊勢大神宮山城愛宕(あたご)山七ヶ年中履行月参詣願成就所みぎハたうかいとういせミち(東海道伊勢道)」、西面には「ひだりは中せんたうをた加みち(中山道を多賀道)京みぶ村あしだの行者万宝院」と刻まれています。
この道標を建てた人物は「あしだの行者万宝院」であり、7年の間、愛宕山(現:愛宕神社・京都市)と伊勢神宮の月参りを達成したことを記念し、建立したものです。
現代の愛宕神社は、火伏せの神様として有名です。愛宕山は修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれたという伝承を持ち、修験者が集まる地域でした。愛宕山の神は、神仏習合の影響で愛宕権現として信仰されていました。愛宕権現は、勝軍地蔵、不動明王、毘沙門天の三尊とされます。道標を建てた「あしだの行者万宝院」も愛宕山を中心とした修験者ではないかと考えられます。
愛宕山から伊勢神宮までは直線距離でも約120km、当時の旅人の1日の移動距離が30~40kmであったことから、往復7日ほどの行程を毎月歩いていたことになります。山を修行の場とする修験者はもう少し早く移動できた可能性もありますが、交通手段が未発達で、自動車も公共交通機関もない江戸時代に毎月、伊勢神宮に参詣するという修験者の信仰のあつさがうかがえます。
道標の最上部には、不動明王を表す「カンマン」の梵字が彫られています。梵字とは、古代インドの文字であり、仏を象徴するものです。不動明王は、愛宕大権現のうちの一尊であり、修験道で広く信仰されていることから、道標に刻まれたと考えられます。また、愛宕権現は境界の神としての性格を持つので、中山道と東海道の境界を守るために建てられたのかもしれません。
問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
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