■草津宿田中七左衛門本陣「雲州役所」を任じられる!
草津宿本陣には、出雲松江藩松平家の三つ葉葵の紋が入った、大名飛脚の書類などを保管しておいた木箱が残っています。蓋には「御國用書」と記されており、中にはいくつかの書状や書付(かきつけ)が入っていました。これは、およそ七里ごとに自藩の書状をリレー方式で受け渡す継立(つぎたて)所を設けたことから、七里飛脚(しちりびきゃく)と呼ばれる大名独自の飛脚便の御用箱です。
江戸時代、本陣が参勤交代に行き交う大名などを出迎え、もてなす施設であったことはよく知られているとおりです。諸国の大名にとって、江戸と国元を1年交代で行き来する参勤交代は大きな労力を要するものでした。各藩は滞りなく行列を進めるため、江戸の藩邸、大坂の蔵屋敷、国元との連絡を取る独自の飛脚を抱え対処しました。
松江藩の七里飛脚には、各宿に設置された七里詰に、藩から派遣された詰役人が滞在する場合と、本陣が請負う場合の2種類がありました。東海道では、土山宿に詰役人を置き、草津宿は本陣請負で御飛脚受場所が置かれ、次の伏見宿にはまた詰役人が置かれるという形をとり、書状を送りました。田中七左衛門本陣は、役人が詰めていた土山宿と伏見宿の間にあって「雲州御用」として御状箱(ごじょうばこ)を継ぎ立て、受け取りの印形(いんぎょう)を押して前後の詰所に渡すという役割を担っていたのです。
本陣には御状箱が度々滞った際の御断りの書状が残されています。川の増水、書状の雨濡れ、飛脚夫の行き倒れなど、継立に異変があった場合に対応しました。事が起これば、まず草津宿に届け出て対応をとった様子がうかがえます。
また御飛脚受場所は5年更新とされており、更新の年には本陣から出された継続願の文書も残っています。参勤交代の宿泊予約などの情報も飛脚便でもたらされたことを考えると、御定(おさだめ)本陣としての役割を確固としたものにするための請願だったのかもしれません。これもまた、よりよくもてなす心の一つといえるのではないでしょうか。
草津宿街道交流館では、草津宿本陣特集第2期「本陣のおもてなし」展示を行っています。大名をはじめ、多くの旅人が行き交う街道で、草津宿本陣が果たしてきた役割を想い描いてみませんか。
問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
【電話】567-0030
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