本町石畑にある「龍ケ池揚水機場」が9月3日(火)、滋賀県で初めて世界かんがい施設遺産に認定・登録されました。
◆世界かんがい施設遺産とは…
かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保存に資するために、歴史的なかんがい施設を国際かんがい排水委員会(ICID)が認定・登録する制度で、平成26年に創設されました。
◆かんがい(灌漑)とは…
農作物を栽培するにあたって必要な水を供給し、土地の農業的生産力を永続的に高めるために、水を耕地に組織的に導き、行き届いた管理のもとに地域的に配分することを言います。
■龍ケ池揚水機場の歴史
古来、本町ではたびたびの干ばつによる苦労が絶えず、「はねつるべ」や「お番水」というかんがい用水の配分制度により水を確保していました。上流の村々との水を巡る争いが絶えない中、特に明治42年(1909)の干ばつは激しく、40日余り陽は照りに照って井戸も枯れ、田には亀裂が入り、稲はぐったりしおれて見るも無残な光景が広がっていました。この大干ばつを機に、農業用水として常に確保できる水源を求めて井戸の建設が計画されました。同年12月から地域住民が交代で延べ1万人もの人員を動員して昼夜を問わず井戸を掘り進め、約1ヶ月で豊富な地下水を確認し、本格的に揚水を行うことになります。
明治43年にイギリス製のコンケロル式離心動ポンプ(蒸気ポンプ)を据え付けたあと、ポンプや石炭ボイラーを格納する建屋、周囲の水路や道路の整備などを行い大正2年(1913)11月に地下水汲み上げ施設「龍ケ池揚水機場」として竣工を迎えました。
干ばつ時には水の汲み上げに多くの労力を要し、耕作に十分な力を入れることができませんでしたが、龍ケ池建設後は水を汲み上げる必要がなくなり、その余力で養蚕等の副業ができるようになり、経済が発展しました。かつては農業一筋で生活するのは厳しく、そのためにこの土地を出て、都市部の商人の下で働く者が増えていました。農業従事者の減少は農村根底の破壊を招きかねないという不安が常にありましたが、龍ケ池の建設によって農業生産が安定し、人々の愛郷心も育まれてきました。
その後、大正12年(1923)にはポンプの動力が電気に変わりましたが、池の構造や建物などは一部改良されながらも建設当時の姿をとどめ、110余年後の現在も地域の田んぼへ水の供給を続けています。
その土木遺産としての価値に着目し、国際かんがい排水委員会(ICID)「世界かんがい施設遺産」に申請を行い、既に国内で51施設が登録されている中、県内では初めての「世界かんがい施設遺産」に認定・登録になりました。
また、初代の蒸気ポンプは、戦時中の金属類回収で供出されることもなく、綺麗に修復し当時の姿を取り戻し、豊郷小学校旧校舎群で展示されています。
左記の二次元コードにアクセスすると、龍ケ池揚水機場を立体的に見ることができます。
画面をスライドして動かしてみてください。
※詳しくは本紙をご覧ください。
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