かつては町内の多くに「うどん講」があったようですが、現在では四十九院と吉田でのみ営まれ、また講の古い文書も伝わっています。講の成立は江戸時代中期までさかのぼります。集落の中に五~十軒単位でいくつかの講が構成され、正月、十一月に当番宿に集まって仏事をつとめ、その後にうどんを食べるので「うどん講」と呼ばれています。元々は餅を食べていたようですが、それがうどんになり、近年では仕出し弁当と時代によって変遷しています。人生の節目にはうどん講の仲間が真っ先に駆けつけるなど、親戚とはまた異なった家と家のつながりがあり、地域社会において深いきずなを結んでいました。
町史編さんでは古い書物や写真を探しています。お持ちの方はご一報下さい。
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