■古(いにしえ)写真館(8) 行楽と娯楽
今回は行楽の秋にちなみ、行楽地と娯楽施設として八幡公園と八幡山ロープウェー、市内に所在していた映画館について紹介します。
八幡公園は、昭和天皇の御大典を記念して、昭和5年に八幡山(鶴翼山(かくよくざん))の南麓につくられた市内で初めての本格的な公園です。八幡公園の西側には、八幡山城の城主であった豊臣秀次の居館があったことが知られており、歴史的にみても立地の良い場所に公園がつくられたことが分かります。園内にはブランコ、滑り台などの遊具のほか、茶店や東屋が設置され、さらには猿やクジャクの園舎も備わり、動物園のような施設として機能していました。また、現在では八幡公園は市内有数の桜やツツジの名所として知られています。
八幡山ロープウェーは、昭和37年に西武不動産株式会社によって八幡山山頂と山麓を結ぶ形でつくられました。当時、近江八幡観光協会(現(一社)近江八幡観光物産協会)の設立や安土城、八幡山城の復元構想、休暇村近江八幡の開設など、観光事業が盛り上がりを見せていました。そのような流れの中で西武不動産株式会社は、豊臣秀次の母・日秀尼(にっしゅうに)が秀次の菩提寺として建てた村雲御所瑞龍寺を京都から八幡山の山頂へ移築しました。また、八幡山ロープウェーの架設や観光開発によって、八幡山城に人々の関心が集まりました。
八幡公園の下には、トキハ館という映画館が所在していました。この映画館は、昭和11年に旧八幡町の商業者団体である八幡実業会によって建設された市内最古の映画館です。どのような映画館であったか詳しいことは分かっていませんが、その跡地は現在のシキボウ株式会社八幡工場の駐車場となっています。昭和27年には仲屋町上に2代目トキハ館が開館しました。開館当時は立ち見客が絶えないほどの人気ぶりでしたが昭和61年に閉館しています。その後、平成16年国際芸術祭「BIWAKOビエンナーレ」の会場として一時的に開館し、会期の1か月間で約1000人が来場しています。このイベント後に建物は取り壊され、現在市内に残る映画館は近江八幡駅前のイオンシネマのみとなっています。
かつての娯楽の象徴であった映画館は時代と共に移り変わっていきましたが、八幡公園や八幡山ロープウェーなどの行楽地は、当時と変わらず現在でも市民の憩いの場であるとともに、本市の観光事業を支えています。
1.八幡公園と桜見客(昭和30年頃)
2.移転前のトキハ館
※写真は本紙をご覧ください
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