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ふるさと再発見 Re:discovery Omihachiman 第65回

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滋賀県近江八幡市

■古(いにしえ)写真館(2)
「水辺の風景」
水辺の風景は、本市の文化的景観の重要な構成要素の一つです。「近江八幡の水郷」として平成18年に全国初の重要文化的景観に選定され、その後3回にわたり選定範囲を拡大しました。また、平成20年には西の湖がラムサール条約湿地に追加され、平成27年には日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」の構成文化財に選ばれています。
かつて琵琶湖辺には「内湖」が存在していましたが、昭和40年代までに行われた干拓事業で大半が姿を消しました。現存する内湖の中で最大の面積を占めめている湖は西の湖で、全体の約50%を占めています。この一帯は、失われつつある琵琶湖の原風景を残す貴重な地域で、水辺にヨシ地や水田といった農地、里山などの自然が集落と共生し、国内でも有数の規模を誇る美しい水郷地帯を生み出しています。その中、特に島学区に位置する円山町は屈指の水郷地帯で、町内の中央付近に位置する「円山」に登ると周辺地域の水郷の広がりを眺望することができます。
1枚目に紹介する写真は、昭和初期に円山の山頂付近から撮影された古写真です。水辺に沿うように形作られたヨシ地や農地、中央を流れる水郷の先には西の湖やその内部に浮かぶ湖岸緑地西之湖園地が見られ、その奥には北之庄沢が確認できます。現在の円山は樹木などが生い茂り、同様の景色を見ることは非常に難しいですが、この写真が撮影された時期は山に生える木々の一部が刈り払われ、八幡山も望むことができたそうです。その山麓には「八幡堀」が見られます。天正13(1685)年の豊臣秀次による八幡山城築城に際し造られ、北之庄沢、西の湖を経由して琵琶湖に繋(つな)ぐことで多くの船が往来し、城下町の発展に大きな役割を果たしました。
2枚目に紹介するのは、昭和40年頃に撮影された白雲橋の東側から見た八幡堀を写した古写真です。この頃の八幡堀は、定期的な堀さらいが行われなくなり、さらには琵琶湖の水位の低下や生活排水の流入といった原因が重なった結果、写真のように雑草が生い茂り、悪臭を漂わせる川となっていました。周辺住民から堀の埋め立てをすべきという意見も出る中、近江八幡青年会議所が中心となり、「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」をスローガンに、草刈りやごみ拾いといった清掃活動、保存修景に関わる計画の策定といった市民運動が始まりました。このような活動が実を結び、昭和50年には滋賀県が行ってきた石垣のコンクリートブロック化工事が中止され、翌51年からは昔の八幡堀の姿に戻すため、川底の堆積物の除去や、石垣の整備といったさまざまな工事が進められました。現在では、時代劇の撮影や多くの観光客が訪れる場所になっています。
※写真は本紙をご覧ください

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