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ふるさと再発見 Re:discovery Omihachiman 第66回

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滋賀県近江八幡市

■古(いにしえ)写真館(3)
「近江八幡駅と駅舎」
日本に鉄道ができたのは、明治5(1872)年、産業が著しく発展し、文明開化といわれたころです。当時、外国から技術を導入した鉄道が東京(新橋)~横浜間で開通します。大阪~神戸間は明治7(1874)年に、京都~大阪間は明治10(1877)年に開通します。
さて、近江八幡市域で初めて駅ができたのは現在の近江八幡駅で、大都市圏で開業した約15年後の明治22(1889)年7月でした。新しく敷設された鉄道は、人々の生活を大きく変化させることになりました。営業を開始したころは「八幡駅」という名称でしたが、大正8(1919)年3月、「八幡」という駅名が全国的に多く見られたため近江八幡駅へ改称されます。現在、市内のJR線は近江八幡駅のほか篠原駅、安土駅が所在しています。安土駅は近江八幡駅ができてから約25年後の大正3(1914)年4月25日に開業し、それに続き篠原駅は大正10(1921)年9月20日に開業します。このほかに東近江市の八日市駅までを結ぶ近江鉄道は、湖南軽便鉄道として大正2(1913)年に開業します。市内に設置された駅は新八幡駅(当初の名称)と武佐駅でした。その後、会社合併などを経て近江鉄道へと至ります。
明治時代に使用していた駅舎は写真のような瓦葺(ぶ)きの平屋でした。写真から見られる線路は単線ではなく手前は2本、奥は3本確認でき、当時から大きな駅であったことが見て取れます。また、陸橋で乗り場へ移動する形であったこともわかります。八幡駅が金田村に設置された理由として、当時鉄道敷設は地域の繁栄を奪うものとの考えもあり、そうした八幡町住民の意見を尊重したためといわれています。そのため県内の東海道本線沿線で市街地から最も遠い駅となりました。
昭和30~40年代の駅舎の様子を覚えている人も多いと思います。この時代は高度経済成長期で好景気の時代でした。写真は通勤ラッシュの時分でしょうか。人々が行き交う姿がみられます。写真の中央には公衆電話や荷台にかばんをくくりつけた自転車など当時をしのばせるものが多く映っています。
そして、現在の駅舎は昭和56年9月に完成します。この駅舎の完成は、同年開催のびわこ国体に間に合わせるために改築工事が急がれました。北口は八幡の商家をイメージした屋根や格子戸のデザインで、八幡らしさがみられます。
駅や周辺、人々の様子が変化しても、鉄道は当初から変わらない場所で人々を運んでいます。
※写真は本紙をご覧ください

◆お詫びと訂正
本紙5月号「ふるさと再発見」で、表記に誤りがありました。
お詫びして訂正します。
(誤)「天正13(1685)年」
(正)「天正13(1585)年」

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