■合志市の地名の由来シリーズ4『上庄(かみのしょう)』の地名は荘園制の名残(なご)り
『上庄』という地名を考えるときに、荘園制という昔の社会制度を抜きには説明ができません。
荘園とは、貴族や寺社が国から領有支配を認められ、収入を得ることのできる土地のことで、日本の古代・中世(8世紀から16世紀ごろ)にあった制度です。
「荘」や「庄」、「郷」を含む地名は全国各地に存在し、その地域が荘園として発展したことを示しています。
また、『地名から歴史を読む方法』(歴史学者・武光誠(たけみつまこと)著)には、「荘園内での占める位置を、上庄・下庄・南庄・北庄と呼んでいる」とあります。
荘園内には農産物を収(おさ)める倉があり、これを「庄所(しょうどころ)」(管理所)といい、地名をつけて「○○庄」と呼んだそうです。
『上庄』という地名は、江戸時代の古文書でも見られます。神社仏閣や古城の由来を記した『肥後国史(ひごこくし)』(明和9(1772)年)や、江戸時代後期の『竹陽古今考(ちくようこきんこう)』(文政13(1830)年)の中に、「上荘村…」、「上ノ庄者共…」という記述があります。
このように、旧藩時代は上庄村といい、明治22(1889)年に周辺の1町5村が合併して合志郡合志村となりましたが、上庄の地名は今でも大字名、地区名として残っています。
問い合わせ先:生涯学習課 生涯学習班
【電話】096-248-5555
<この記事についてアンケートにご協力ください。>