■1 認知症による行方不明という現実
少し前の報道になりますが、年間1万8千人以上の方が認知症により行方不明になっているというニュースは、私にとって衝撃以外の何物でもありませんでした。そして、考えたのはその行方不明者の方々のご家族のことでした。ご家族は、毎日どれほどの緊張感や責任感の中で暮らしていらっしゃるかと想像すると、胸が苦しくなります。私にも90歳を越える親がおります。まだまだしっかりしていますが、色々な場面で衰えが目立つようになりました。自分の名前が分からない日がやがて来るのかもしれません。
これは誰の身にも起こり得ることであり、明日の自分事かもしれません。6月号のこのコラムで、マザー・テレサの言葉「愛の反対は憎悪ではなく、無関心である」を引用しました。同じことが、この問題にも言えると思います。明日は我が身と捉え、関心を持つことはとても大事な気がします。そしてそのうえで、自分の家族に、または周囲のお年寄りに目を向けてみるのはどうでしょうか。より多くの眼が見守ることで、最悪の事態を一つでも二つでも減らすことができるのではないでしょうか。
■2 知識から認識へ
6月に開催された荒玉地区人権・同和教育研究集会の講演で、講師の松村智弘さんは「知識から認識へ」と言われました。知識から認識に変わるためには、共感する力が必要になるとも仰いました。認知症や行方不明者の増加という知識を分かったうえで、それは当事者やその家族だけの問題ではなく、地域社会に生きる私たち一人一人の問題でもあるという、共感する力を持つことが大事なのだと思います。
問合せ:社会教育課 地域人権教育指導員
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