■難関への道に挑み続けた己との長き闘い
◇古庄勤也 Furusyou Kinya
1956年三角町生まれ。進学した九州学院高校では、インターハイ出場。社会人となってからは、範士八段の西山弘(ひろし)さんを師に稽古に励む。平成元年旧三角町役場に入庁し、同29年3月に定年退職。今年5月に行われた全日本剣道連盟主催の審査会で八段に合格した。
◇剣道57年教士八段
夕刻の三角町船津地区。並なみかわ河道場では、静けさの中に活気あふれる声と床を踏み込む大きな音、打撃音が響く。
ここで稽古に励むのは古庄勤也さん。5月に剣道の最高段位八段の審査会を受験し、全国の剣士895人中、合格者8人の狭き門をくぐり抜けた1人だ。
小学3年生で剣道を始め、当時の強豪校郡浦小や青海中で技術を磨く。剣道が盛んな三角町では、八段合格者を過去に6人輩出してきた。
「剣道の基礎は、当時の指導者、中川道人(みちと)先生、木村久二(ひさじ)先生から習得したもの。母体が成ったのは、この2人のおかげ。」と懐かしそうに語る。
◇八段への挑戦
八段に挑戦できるのは、七段合格後10年を経過し、かつ46歳以上。古庄さんの八段挑戦権は、62歳からだ。
市職員を定年退職後、週5日は稽古。週末は熊本市、月曜は菊池市まで通った。疲れが運転に影響しないようにと妻の久美子(くみこ)さんも同行した。
しかし、2年位続けた頃から膝や肩が痛み、正座ができなくなる。治療と共にストレッチの方法を学び、食事も変え、退職前から10kg減量。そこにも久美子さんの献身的なサポートがあったという。
◇挑戦からの挫折、そして
年2回行われる審査会では一次、二次で実技、最終は形(かた)で審査される。
古庄さんは、挑戦6回目で初めて一次に合格したが、二次は不合格。7回目以降は、一次から不合格だった。
「7回目で不合格の時は、くじける寸前。諦めようとも考えました。練習では、八段の先生方とも互角で、技術的には十分。自分に足りないものは何か模索しました。」と古庄さん。
自分の中で振り返った時に気付いたことは、「心」。これまで以上に気迫ある練習に打ち込み、強い精神力を身に付けた。
そして、10回目の挑戦でついに合格。20、30回受けても受からず諦める人がほとんどで、60歳以上の合格率はなお低い傾向という。
「受かったときは、素直にうれしかった。練習を積み重ねた自信と気持ちが誰よりも強かったと思います。稽古で胸を貸していただいた先生方、そして家族の支えも力になりました。」と喜ぶ。
◇最高段位者として
「今は、子どもが減少する中で、剣道人口も減少している。」と寂しそうに話す古庄さん。
八段に達すると最高段位者として後進の育成のためにも各道場での指導や審判、講習に行く機会が増える。並河道場でも門下生たちを指導しつつ、自らも週2回1時間の稽古を続ける。
同道場で子どもたちを教える城崎みどりさんは「約5年前から、先生の挑戦を近くで見てきました。あなたも六段目指して一緒に頑張ろうと言ってもらったことが励みに。気持ちの面で成長できました。」と語る。城崎さんは、今年2月に行われた審査会で見事合格した。
剣道八段への挑戦は、己との闘い。挫折もある中でそれでも挑戦し続ける精神力と日頃の鍛錬でこれまでの自分に勝つことができた。
「生涯剣道を目指したい。」と古庄さんは語る。剣道への思いは、これからも積み重なり、後世に、次代に形となって受け継がれていく。
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