私たちが暮らす宇城市の郷土にまつわるさまざまな文化の魅力を発信します
■先駆けの恩賞地海東郷
-元寇って知ってる?(3)-
文永の役で先駆けとしての功績を果たし、恩賞の沙汰を待っていた竹崎季長(すえなが)でしたが、鎌倉幕府からは何の連絡もありませんでした。
季長は家督争いに負け、恩賞を得られなければ自身の人生には後がないと考えていました。
業を煮やした季長は、幕府に直訴しようと馬の鞍(くら)を売って工面した路銀(ろぎん)(旅費)をもとに、わずかな家臣を連れ鎌倉へ向かいました。
道中、烏帽子親(えぼしおや)(当時の成人にあたる元服(げんぷく)の際に、仮親として儀式を行う人)であった三井季成(みいすえなり)に面会し、神仏に直訴の成功を祈りながら鎌倉に到着しました。しかし、恩賞奉行(恩賞を決定する幕府の役人)には取り次いではもらえず、約2カ月の間、待ち続けました。
ようやく恩賞奉行の安達泰盛(やすもり)に面会できた季長は、戦での自身の功績を報告し、それが認められ海東郷(かいとうごう)(宇城市小川町海東)の地頭(じとう)(一定の領地を治める管理職)に任じられました。肥後に戻った季長は、わずか3日で準備を整え海東郷に拠点を移しました。
現在の海東地区には、季長が菩提寺(ぼだいじ)として建立した塔福寺(とうふくじ)、阿蘇神社の祭神を勧請(かんじょう)した海東阿蘇神社のほか、季長の墓と伝わる五輪塔(ごりんとう)などが残されています。
◆郷土資料館
開館時間:10時~17時
休館日:月・木曜(祝日の場合はその翌日)
住所:豊野町糸石3818
【電話】45-2102
問合せ:文化スポーツ課
【電話】32-1954
<この記事についてアンケートにご協力ください。>