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■2度目の侵攻弘安(こうあん)の役
-元寇って知ってる?(4)-
文永の役に続く、元による2度目の侵攻を弘安の役といいます。1276年に、フビライ・ハンは南宋(なんそう)(現在の浙江省(せっこうしょう))を攻め落とし、その支配下にあった江南(こうなん)地域(揚子江(ようすこう)の南)の強力な軍事力と経済力を手に入れ、再度日本を侵攻する際の軍に編成しました。
そして、1281年に朝鮮半島から元軍本隊が、中国大陸の南側から江南軍が、再び博多湾を目指して出発しました。元軍4万人と船900艘、江南軍約10万人と3,500艘という大規模な軍勢でしたが、直前で江南軍の総司令官が病死したことにより、江南軍の出発が2カ月も遅れ、先に元軍本隊だけが博多湾に到達しました。
これに対し、鎌倉幕府は九州の武士に命じて博多湾沿岸に高さ2~3m、東西約20kmに及ぶ石積みの防壁(元寇防塁(げんこうぼうるい))を作らせ防衛体制に入りました。地頭として海東郷を治めていた竹崎季長もここに合流し、防衛に加わりました。
到着したものの防塁によって攻めかねた元軍は、上陸できずに博多湾沖で待機し、付近の志賀島(しかのしま)や能古島(のこのしま)を襲撃するにとどまりました。そこに小舟に乗った日本軍が夜襲を仕掛け、多くの負傷者を出した元軍は上陸をあきらめ、江南軍が到達していた平戸島(ひらどじま)(長崎県)を目指して退却しました。
◆郷土資料館
開館時間:10時~17時
休館日:月・木曜(祝日の場合はその翌日)
住所:豊野町糸石3818
【電話】45-2102
問合せ:文化スポーツ課
【電話】32-1954
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