■たゆまざる歩みで”百姓モデル”
◆樅木 英介 Mominoki Eisuke
昭和41年水上村生まれ。松橋町在住。高校卒業後はモトクロスの選手を目指す。186cmの身長と抜群のスタイルを生かし、23歳で上京してファッションモデルに。27歳で渡欧し、エルメスやヴァレンティノ、フェンディなどハイブランドのモデルとしてミラノやパリのコレクションに出演。42歳で帰熊し、現在は自称「草刈り最速の百姓モデル」として活躍する。
◇目指すはレアキャラ
「いろいろやってきましたが、全て無駄はない。次につながっています。」
手早くトマトを収穫しながらそう笑うのは、スタイルの良さが際立つ樅木英介さん。農家であると共に、かつて幾度もパリコレに出演したファッションモデルでもある。
野球やモトクロスでプロを目指すも断念し、20・30代には東京やヨーロッパでモデルとして活躍。家族のためにも地元へ戻ろうと、新規誕生するという農業法人の話に乗り42歳で帰熊するも、話は程なく立ち消えた。
「モデル人生は終わったと思いました。」と樅木さん。そんなときに地元の大石酒造から声が掛かり、広告モデルに。熊本でも活動できると自信になった。
でも、それだけで食べてはいけない。元々関心のあった農業分野で規格外トマトの卸売を営むも生計は不安定。そんなとき、不知火町在住で有機農業の先駆者澤村輝彦(てるひこ)さんと出会い、社員として働くことに。農作業のスキルアップに楽しさを覚えた。
その後、義務教育初の民間校長である藤原和博(かずひろ)さんの講演で「今後生き残るのは普通ではなく〝レア〞な人」との言葉を聞く。
「それまでモデルと農業、それぞれ頑張ってきて、2つの世界で100分の1の存在になれたら、掛け合わせて1万分の1。〝百姓モデル〞というレアキャラを目指そう―。」樅木さんの人生に軸が生まれた瞬間だった。
◇歩みのための挑戦
モデルのクオリティーを保つ努力をしながら、人脈を生かして関東や福岡などでさまざまなオーディションに挑戦。農業でも、各農家の繁忙期に手伝い、〝百姓〞としてスキルを磨いた。既存の仕事同士でも、ユニークに組み合わせて他と差別化し、レアな存在へ挑んでいる。
さらに新たな3つ目の取り組みも。相手の目標達成のため話を聞いてサポートする「コーチング」のスキルで、100万分の1を目指す。地域の人の話を聞き、コミュニケーション力を磨きながら研究中だ。コンビニ店員に自ら声を掛けて日々会話するのもその一つだと話す。
「オーディションでは、恥ずかしがらないことが大事。本番は普段やっていること以下しかできない。だから「テレ慣れ」なんです。今挑戦中のダンスや英語も同じ。下手でも毎日SNSで動画をさらします。」と笑う。
樅木さんを雇うトマト農家の平田達朗(たつろう)さんは「何でも真摯に向き合って、作業方法を熟考されます。常に新しいことを求めながらも古さを大事にする姿はカッコいい。」と生き方に憧れる。
樅木さんの座右の銘は、長崎平和祈念像を作った北村西望(せいぼう)の言葉「たゆまざるあゆみおそろしかたつむり」。像の足元にいたカタツムリが半日後10m弱の頂点にいた姿に自分を重ね、たゆまざる精進を続ける。
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