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ふるさとの偉人

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熊本県宇城市

■台湾の近代教育の先駆者 平井 数馬(かずま)

世界トップの半導体シェアを誇り、台湾を本拠地に持つ「台湾積体電路製造(TSMC)社」が、昨年2月に菊陽町で子会社「JASМ」を開所しました。
今につながる台湾の教育の源が、日清戦争後の日本の統治政策のなかでも「教育を優先すべし」と全国から6人の優秀な志ある人材を台湾に派遣し、開始された「芝山巌(しざんがん)教育」にあることを知る人は多くありません。
この6人を、台湾の人々は尊敬の念を込めて「六氏(ろくし)先生」と呼び、その中のひとりが「平井数馬」です。数馬は、明治11年に下益城郡松橋町で生まれ、その後、熊本市水道町に移り住みました。私立中学濟々黌を卒業し、明治28年(当時17歳)に台湾で通訳官教師となりました。
台湾での最初の学校「芝山巌学堂」において授業を行ったほか、教師用・生徒用の台湾語の教科書や日台会話の教科書作成にも尽力し、台湾における最初の日台辞書の編さん者にもなりました。
ところがが明治29年の元旦、台湾に渡って1年も経たないうちに、現地の抗日ゲリラにより暗殺されてしまいます。
6人の教師の死が日本に伝わると、その遺志を継承しようと全国から多くの教師が台湾に渡り、台湾全土で献身的に現地の子どもたちの教育に従事しました。
その結果、明治37年はわずか33・8%に過ぎなかった児童の就学率が、40年後の昭和19年には71%を超え、世界で最も高い就学率を達成するまでになりました。
県内各地からも数馬に続けと多くの教師が渡台し、台湾における教員のほぼ一割を熊本県出身者で占めたと言わわれており、台湾の近代教育の礎(いしずえ)は、数馬をはじめとする県出身者の血と汗の努力によって築かれてきました。
現在、熊本には「平井数馬顕彰(けんしょう)会」(白濱裕(ひろし)会長)が設立されており、2月1日には熊本県護国神社で没後130年の慰霊祭と講演会が執り行われます。

問合せ:文化スポーツ課
【電話】32-1954

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