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自治体の皆さまへ

わたしたちの人権238

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熊本県山都町

誰もが人間として生きていくうえで侵すことのできない当然の権利これが『人権』です

■阿波木偶箱(あわでこはこ)まわし
〜人権文化を考える〜
11月26日、「そよかぜ学級・和光教室・議会議員合同人権講演会」で、「阿波木偶箱まわし保存会」による木偶箱まわしの実演と講演が行われました。その講演内容を掲載します。
[阿波木偶箱まわし]は、徳島県西部に受け継がれてきた人形文化で、人形浄瑠璃・文楽の源流です。その形は二つあります。一つは、4体の木偶(人形)
《千歳(せんざい)、翁(おきな)、三番叟(さんばそう)、エビス》を二つの木箱に入れて移動し、民家で門明け神事を行う祝福芸の「三番叟まわし」です。もう一つは、数体の木偶を二つの箱に入れて移動し、人形浄瑠璃芝居を路傍や民家の庭先、神社境内などで演じた娯楽の芸「箱まわし」で、どちらも徳島県独自の芸能です。

▽実演と講演
「おめでとうござい、おめでとうござい。」の声とともに三番叟まわしが始まりました。神の使いとして「家内安全」や「五穀豊穣」「商売繁盛」を祈り、正月を祝い福を運ぶ門付け芸で、被差別民衆の中で育まれました。
三番叟まわしの実演に続いて、辻本一英さんが講演をされました。「うちのムラは、何体もの人形を川に流して捨てたんですよ。」なぜなのか。その原因として、戦争やその後の高度経済成長による大きな社会の変化の波に加え、「被差別部落に対する偏見・差別」がありました。祝福の芸をすること、すなわち出自を明かすことになり、いわれなき部落差別を受けた人々は差別を恐れ、差別されるようなことを子や孫の代に背負わせてはならないという思いから人形を川に流して捨て、自らその芸能を離れ自分の子どもや孫に継承させませんでした。その継承されなかった一人が辻本一英さんでした。
辻本さんはある日、三番叟まわしの人形を持ち歩く昔の人の写真の中から自分の祖母を見つけたのでした。「差別と排除によって大事なものを失う。」部落差別によって消えようとしていた伝統芸を受け継ぐことが、差別をなくすことにつながると講演されました。
保存会では現在、6市5町約1000軒の門付けを行っています。正月の門付けの他に、農家での農業神事、家屋新築時の地鎮祭、民家での家祈祷なども行います。

[部落差別の始まり]は、平安時代中期の京都(1000年頃)で、民衆の*「けがれ意識」による「排除」の差別です。民衆の差別意識を、時々の政治家が法律や制度に組み込み都合よく利用してきた結果、千年経った現在まで差別が残りました。
「けがれ」があるとして排除されてきた被差別民衆が、神の使いとして祓い清め福を運んでくる。人々はそれを待ち焦がれ歓迎しました。差別を受けながら、社会的に必要とされる仕事や役割、文化を担ってきました。今は日本の代表的な伝統芸能とされる、歌舞伎や狂言、能、文楽なども、その発祥は被差別民衆の文化にあります。部落差別と背中合わせに、差別に負けたり歪められたりせずに日本の芸術を代表する高い文化を生み出しました。
人形遣いの操る三番叟が新年を祝い舞う姿を見て、「偏見・差別のない社会の仕組みと人の心」が、次世代に残さなければならない伝統文化を守り、社会を住みやすく豊かにしていくのだと思いました。
*「けがれ意識」人や牛馬の死、天災、火事、犯罪など、通常の状態に変化をもたらす出来事にかかわることを「けがれ」といい、忌み嫌い恐れられていた。けがれたものに触れるとそれが伝染すると考えられ、けがれを清める「清め役」が必要とされた。しかし、清める力を持つ人やけがれに関する仕事(火葬、皮革業、警察、芸能者、庭師など)をする人は、異質な存在・けがれた人として差別された。
「阿波木偶箱まわし保存会20年の歩み」参照

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