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湯前歴史散歩 下里御大師堂の墨書を読む(1)

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熊本県湯前町

■建築年代が確定
令和3年度に始めた下里御大師堂の解体保存修理が先月完了。これまで御大師堂の建築年代は、堂内の須弥壇(しゅみだん)が天正9(1581)年に作られていることや、台鉋(だいがんな)が使用されていることなどを理由に、安土桃山時代~江戸時代前期と考えられていましたが、明確なものではありませんでした。ところが、今回の修理で建築年代を特定する重要な手掛かりが発見されました。
発見された重要な手掛かりとは御大師堂に使われていた部材に記されていた墨書(ぼくしょ)です。記されていた墨書は「延宝(えんぽう)四年二月二日…」。延宝4(1676)年は江戸時代前期に当たります。ほかにも同じ年号が書かれた部材が多数見つかりました。今回の墨書の発見で、建築年代が延宝4年であることが確定的に。建築年代は御大師堂を球磨人吉の古建築の中に位置づけるうえで重要な情報であり、建築年代を確定できたことは解体保存修理の大きな成果と言えます。

■書き残された和歌
墨書には続きがあります。
「手もあ(悪)しく ふて(筆)のたて□もしらね供(ども) 事かきぬれは(ば) かくてならん 奈須又左衛門 右田茂兵衛」
※□は判読できない文字
年号に続けて和歌らしきものが記されています。「手もあしく」の「手」は文字のことで、「ふて」は、当時は濁点を使わなかったので「筆」と読むことができます。よくわからない部分もありますが『字も下手で筆の立て方も知らないが、ものを書こうと思えば書くことができる手なのだろう』という意味になるかと思われます。「奈須又左衛門」と「右田茂兵衛」は職人の名前と思われ、御大師堂の建築に携わった記念として、部材に和歌と名前を書き残したのかもしれません。
(2)に続く

■用語の説明
須弥壇(しゅみだん)…仏教寺院において本尊を安置する場所
台鉋(だいがんな)…材の表面仕上げに使う工具。現在で言う「かんな」
墨書…墨で書かれたもの

教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)

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