文字サイズ
自治体の皆さまへ

特集 先代から続く民俗芸能 湯前中学校文化芸能継承活動20年(1)

1/24

熊本県湯前町

本町には昔から伝わる民俗芸能「球磨(求麻(くま))神楽」「浅鹿野棒踊り」「東方組太鼓踊り」の3つが伝統芸能継承活動として中学生の手で続けられています。20年を迎えたことし、1つの賞を受賞しました。

■全員でつかんだ賞
9月3日、湯前中学校が京都コンサートホールで開かれた「古典の日文化基金賞授賞式」に、酒井勇一校長と生徒会長の吉田楽々さん、生徒会役員の中武獅温(しおん)さんが出席。生徒を代表して出席した吉田さんは「受賞の話を聞いたときは驚きと喜びでいっぱいだった。20年のみなさんの努力や情熱を認めてもらえたことは喜ばしい。授賞式では拍手が会場いっぱいに響き渡るステージに20年間活動に携わった皆さんを代表して、登壇させてもらったことに感謝。賞状を受け取ったとき、自分たちの活動は誇り高いものだと改めて感じた」と話しました。

■古典の日文化基金賞とは
日本の古典文化の研究や普及・啓発活動に大きく貢献した人々を顕彰することを通じ、古典の日の推進に寄与することを目的に創設。「文学・思想」「伝統芸能・音楽」「美術・生活文化」の分野と若者たちの古典文化活動を応援する「未来賞」がある。令和3年に制定されてことしで4回目。県内では初めての受賞となった。

■湯前が誇る民俗芸能
▽球磨(求麻)神楽
熊本県南部の球磨・人吉地域に伝承されている神楽で、古くは室町時代から始まり、江戸時代には領主相良藩の保護を受け、神社の祭礼の節や雨乞ごい・疫病退散など、領内の平和などを願い、郡内の神社で行われた。元は33番あったが、現在伝承されているのは「三番神楽」「田楽」など17番のみ。昭和37年に保存会が結成され、神社単位での奉納から保存会から各神社への出張での奉納に変化した。平成25年に国指定重要無形民俗文化財に指定される。

▽浅鹿野棒踊り
棒を持って踊る風流系の民俗芸能である「棒踊り」の一つである。明治38年ごろに久米思川(多良木町)より習い伝えたと言われ、本町の浅鹿野を中心に踊っている。踊り手は棒4人、鎌2人が一組となり、「道踊り」「鎌倉棒揃」などの演目を踊る。ほかに唄い手や三味線・拍子木・太鼓・笛が加わる。口伝(くでん)で継承され、踊り手は浅鹿野の長男に限定していたため、浅鹿野の集落内で修練していた。昭和44年に湯前町無形民俗文化財に指定される。

▽東方組太鼓踊り
熊本県南部に分布する「臼太鼓踊り」の一つで、馬場地区に伝承されている。明治3年に踊ったのが最古の記録とされている。踊り手は源氏方と平家方に分かれ、総勢14人で源平合戦を表現。「進軍」「緒戦」「頭の出打ち」などから構成されている。馬場地区の長男にだけ継承されていたため「長男踊り」とも呼ばれていた。地区の人だけでなく、青年団や地区外の人だけでなく、中学生も加わり、踊りが維持されている。昭和44年に湯前町無形民俗文化財に指定される。

■きっかけは野球部員から
湯前中学生が伝統文化継承活動を始めたのは平成15年。神社側の「子どもたちに神社や伝統文化について理解してもらいたい」考えと学校側の「子どもたちが将来誇れる故郷を持てるか」という考えから、「伝統文化の継承」という形で合致。野球部員1年生6~7人が球磨神楽をしたのが初めでした。平成17年に中学校生徒による伝統芸能を学ぶ総合活動が始まる。

■1期生として
1期生として球磨神楽に関わった工藤晃介さん(34・下城)は「最初は野球部1年のときに球磨神楽を始めた。3年のときに始めたのが1期生。当時は学年全員で48人いた。生徒の半分は未経験だったので、覚えることに苦労した生徒もいた。今回の表彰は光栄なこと。学校の授業で続けてもらっていること、先生や保護者の協力に感謝。現在は球磨神楽の指導をしているが、当時習った生徒が指導者として続けていることに20年の重みがある」と振り返りました。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU