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「地域の宝」であり続けるために 湯前線開業100周年記念特集(1)

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熊本県湯前町

球磨郡市広報研究協議会合同特集
「地域の宝」であり続けるために 湯前線開業100周年記念特集

令和6年3月30日。
くま川鉄道の前身、国鉄湯前線の開業から100年を迎えます。
度重なる苦難を乗り越えながら、人吉球磨に住む人々の生活を支え続けてきた鉄道は「地域の足」であるとともに「地域の宝」でもあります。
この先も「地域の宝」であり続けるために必要なものは―。
国鉄湯前線・くま川鉄道のこれまでと、これからを追いました。

■湯前線の歴史
くま川鉄道の前身である国鉄湯前線は大正13年(1924年)3月30日に開業。当初は人吉・肥後西村・一武・免田・多良木・湯前の6駅で運行していました。山々に囲まれた球磨盆地を走る湯前線には、人々だけでなく木材を積んで走る貨物列車としての一面も。しかし、トラック輸送の発達や外国産木材などの需要増の影響で、多良木~湯前間、続いて、人吉~多良木間の貨物列車が廃止。自動車の普及で人々の利用も減り、ついには旅客列車も廃止の方針が決まりました。湯前線は国鉄分割民営化後に発足したJR九州に移管されましたが、廃止することが前提でした。湯前線の頃から利用者の大部分を占めるのは、沿線に通う学生たちでした。学生たちの通学手段を残すために地域住民が協力し、存続運動を沿線地域で展開。行政と民間が出資する第三セクター方式での存続が決まり、平成元年(1989年)10月1日に、くま川鉄道としての運行がスタートしました。その後も地域の足として活躍を続け、ことし3月30日に国鉄湯前線開業から100年を迎えます。

▼Interview 鉄道は心のつながりの場所
人吉鉄道観光案内人会会長 立山勝徳さん(88・人吉市)
昭和32年に日本国有鉄道(通称:国鉄)に入社。機関士として蒸気機関車(SL)やディーゼル機関車を運転。昭和62年に退職。現在はツアーの案内や中学生を対象に鉄道についての講話を行っている。

▽国鉄時代を振り返って
一番大変だったのは機関車をバックで運転することでした。湯前駅には機関車の方向を変える転車台がないため、人吉駅~湯前駅までバックで運転しなければなりません。後ろには石炭などを載せた炭水車を連結していて、進行方向が確認できず、窓から顔を出して運転していました。石炭のくずなどが顔に飛んでくるため、防じん眼鏡をかけないと運転できませんでしたし、冬は風が冷たくて大変でした。霧が濃い日は視界が悪いため、速度を落としながら汽笛を頻繁(ひんぱん)に鳴らしていました。

▽くま川鉄道への思い
令和2年7月豪雨災害で、くま川鉄道が今後どうなるのか心配でしたが、永江社長を中心に社員の皆さんも一生懸命頑張っていらっしゃいます。鉄道は単に人や物を運ぶだけでなく、心のつながりの場所。上・中・下球磨を1つの線路とすることで、人々の交流や心のつながりが生まれる場所になればうれしいです。大変だとは思いますが、地元の鉄道を守ってもらいたいと思います。

1924年3月30日鉄道省(国鉄)湯前線開業人吉・肥後西村・一武・免田・多良木・湯前の6駅で運行
1937年4月1日東人吉駅(現・相良藩願成寺駅)で旅客・貨物の営業開始
1953年7月15日川村駅・木上駅を新設
1963年4月5日東免田駅・東多良木駅を新設
1987年4月1日国鉄分割民営化でJR九州へ移管
1989年4月26日くま川鉄道株式会社発足
1989年10月1日くま川鉄道湯前線の運行開始おかどめ幸福駅・公立病院前駅・新鶴羽駅を新設
2009年4月1日人吉駅を人吉温泉駅・免田駅をあさぎり駅に変更
2020年7月4日豪雨災害で球磨川第四橋梁流失、5両の車両が浸水など甚大な被害を受け、全線運休
2020年7月20日代替輸送バス運行開始
2021年11月28日肥後西村駅~湯前駅間の運行を再開
2024年3月30日国鉄湯前線開業から100年
2025年度くま川鉄道全線復旧(予定)

■開業100周年記念事業
湯前線100周年を祝って、くま川鉄道株式会社ではさまざまな記念事業が計画されています。くわしくは同社のホームページをご覧ください。

▽ヘッドマーク運行
湯前線開業100周年を記念し、列車の先頭部に特製ヘッドマークを取り付けて運行中です!
期間:9月30日まで
運行:肥後西村~湯前区間、毎日運行

▽くまてつまつり
5月5日に「湯前線100周年記念くまてつまつり」を開催!子どもから大人まで楽しめる鉄道一色のイベントです。

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