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湯前歴史散歩 村会議事録にみる下町橋の架設(1)

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熊本県湯前町

現在、町指定文化財の石橋「下町橋」の補修工事を進めています。下町橋は明治39年(1906年)に都川に架けられた単一アーチ式石造橋。下町橋という名前は下城と古町の一字ずつを取って名付けられました。

■用材補助下附願い
当時の村会議事録に下町橋架設に関する記述がありました。明治39年9月20日、里区長椎葉三蔵と城区長兼田喜太郎の連名で、湯前村長野口利久あてに、次のような願書が提出されています。

右ハ先般(せんぱん)修繕用材トシテ、杉・桧(ひのき)五本ノ御下附(ごかふ)ヲ受ケ、現今該工事着手中ノ処(ところ)、同所ハ誠ニ困難ノ場所ニテ、是迄(これまで)八年若(もし)クハ拾ヶ年位ヒ毎(ごと)ニ用材御下附ヲ受ケ架替(かけか)ヘ致シ来(きた)リ候(そうろう)モ、今後ハ用材トシテ欠乏ヲ告クルヤモ難斗候(はかりがたくそうろう)ニ付(つき)、今回同設計ヲ変更シ、目鏡(めがね)形工事ヲ以テ修繕シ、可及永久ニ維持致度候間(いたしたくそうろうあいだ)、別紙設計書ノ通、需用候ニ付、何卒此上特別ノ御詮議ヲ以テ、前項ノ枯損木若(もし)クハ焼松木、無代価ニテ御下付被成下度(なしくだされたく)、此段相願候也(このだんあいねがいそうろうなり)

■木橋から石橋へ
願書によれば、以前から下町橋が存在し、明治39年に村から杉・桧5本の払い下げを受けて、木橋として下町橋の架け替え工事に着手していたことが分かります。しかし、同所は困難な場所で、8~10年ぐらいごとに、橋の架け替えが必要であり、今後、用材が欠乏するかも分からないので、石橋(眼鏡橋)に設計を変更し、永久に維持できるようにしたい、と述べています。
木橋から石橋への変更に関して、恒松光蔵氏の「球磨・人吉の眼鏡橋」では、村から払い下げを受けた杉の木が、あまりにも大きく良材だったので、この木を売って、永久橋となる石橋を架けることに急遽(きゅうきょ)話がまとまったという逸話を紹介しています。
村議会では、願書を受けて用材を下付することを可決。下町橋は石橋として架け替えられることになりました。

■地元による橋の維持管理
下町橋の架け替えは、橋の両岸に当たる城区・里区が主体となって実施し、村へは工事に必要な材木の払い下げを願い出ていました。当時はそれが一般的だったようです。村から補助を受けつつ、自力で石橋を架けた先人の努力が偲(しの)ばれます。

※当時湯前村は里・城・猪鹿倉・東方・二本柿の5つの区に分かれていました
参考:恒松光蔵「球磨・人吉の眼鏡橋」『郷土』第7号、昭和54年
教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)

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