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湯前歴史散歩 城泉寺(浄心寺)保存の歩み(1)

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熊本県湯前町

今回は、湯前を代表する文化財、城泉寺(じょうせんじ)(浄心寺(じょうしんじ))の保存の歩みをたどります。

■城泉寺の荒廃
城泉寺は鎌倉時代の創建で県内最古の木造建築として国の重要文化財に指定されています。しかし、明治時代には廃寺となり、一時期はかなり荒れ果てていたようです。城泉寺が旧国宝に指定される直前には「現今個人ノ住宅同様トナリ、不潔乱雑ヲ極メ、管理及維持ノ方法亦甚(またはなは)タ不十分」(大正4年村会議事録)というありさまだったようです。

■城泉寺への注目
荒れ放題だった城泉寺が注目され始めたのは、大正元年8月のことでした。当時の湯前村長、岩野文次郎は役場書記の井上藤太郎とともに城泉寺を訪れ、実地調査を行い、大正2年1月4日に結果を報告。『湯前町史』の年表には「一月四日、浄心寺阿弥陀堂(あみだどう)の仏像のことを県に報告し、調査方を依頼す。この時、誤って浄心寺を城泉寺と書いたことから、浄心寺は城泉寺と誤られてしまったのである」と書かれています。今となっては確かめようがありませんが「浄心寺」が「城泉寺」と書き誤られたタイミングとしては最も可能性が高いと思われます。
※大正2年4月ごろと思われる新聞で、すでに「城泉寺」の表記が見られる
県への報告で、大正4年5月19日、文部省古社寺保存会委員の新納忠之介と熊本県属の矢野寛が調査に訪れました。2人の調査で、城泉寺の仏像は製作優秀で保存を要するものとされ、石塔とともに城泉寺が由緒ある古刹(こさつ)であることが認められました。
※古刹…古寺

■保存への第一歩
5月26日には郡役所を通して村へ、城泉寺を最寄り寺院の飛地境内(とびちけいだい)に編入すること、庫裡(くり)を建設して番人を常住させ、火災・盗難の予防・取り締まりに努めるようにとの通知が来ました。
村は通知を受けて、6月28日の議会に「下辻堂宇(しもつじどうう)保存ニ関スル件」を提出しています。下辻堂宇とは城泉寺のこと。同議会では、前記の維持管理方法はただちに施行するのは難しいとして(1)後方に傾斜している堂宇を四方から支柱で支えること(2)堂内の仏像の周囲に格子戸を設けること(3)石塔を竹垣で囲うこと(4)村有林間伐材の松・杉を給付すること(5)堂宇保存費として金15円を支出することを可決しています。こうして城泉寺の保存方法が講じられることになりました。郡役所からの通知にあったように、同村内の明導寺の飛地境内に編入されることにもなったようです。
大正4年8月10日、古社寺保存法に基づき城泉寺の仏像が国宝(旧国宝)に指定されました。城泉寺の仏像が世に出るきっかけとなったのは、岩野村長の慧眼(けいがん)だったといえます。
※庫裡…寺院の厨房(台所)

教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)

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