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湯前歴史散歩 城泉寺(浄心寺)保存の歩み(2)

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熊本県湯前町

明治維新後、廃寺となり荒廃していた城泉寺(浄心寺)は、大正元年、岩野文次郎村長によって見いだされました。大正4年6月には「下辻堂宇保存ニ関スル件」が湯前村議会で議決され、城泉寺の保存策が講じられることになり、同年8月には仏像が国宝(旧国宝)に指定されました。

■湯前村国宝保存会の設立
国宝指定後の大正4年11月8日、村議会では「下辻堂宇保存ニ関スル件」を取り消しています。はっきりとしたことは分かりませんが、同件は暫定的な保存方法を定めたものであり、国宝に指定されたことで、より本格的な保存策を講じる必要が出てきたものと想像されます。
教育委員会保管の「大正五年国宝保存会書類」という綴りには「湯前村国宝保存会創立に付き協議を開催する」という、大正5年5月24日付けの通知が綴られていて、5月29日に協議が行われたようです。同じ綴りには球磨郡役所の佐無田実が6月17日付けで湯前村役場書記、井上藤太郎(微笑)に送った手紙も綴られていました。人吉の願成寺には保存会会則があることや、寄附を募ることについて県知事の許可を得ていることなどが記されています。おそらく湯前村からの問い合わせに回答したものと思われます。一緒に綴られていた願成寺の国宝保存会会則などを参考にしながら、湯前村国宝保存会が設立されたようです。

■寄附募集許可願い
同年8月8日付けで、保存会長、岩野文次郎から熊本県知事に「寄附募集許可願」が提出されています。

熊本県球磨郡湯前村明導寺飛地境内ニアル阿弥陀堂安置ノ如来及両脇士(侍)ハ製作優秀ニシテ年代最モ古ク、既(すで)ニ大正四年八月十日国宝ニ指定セラル、又同境内ニアル供養塔ハ寛喜二年ニシテ其(その)由緒アル歴史ノ象徴タルヤ明(あきら)カナリ、然(しか)ルニ同国宝ハ現今(げんこん)国庫ノ補助ヲ仰キ(あおぎ)修理中ニアルモ、堂宇・石塔ノ如(ごと)キハ歳月ノ久シキ頽廃荒蕪(たいはいこうぶ)シ、境内復(ま)タ草木ノ生エルガマヽニ委(まか)シ、人之(こ)レヲ顧ミルモノナカリキ、寔(まこと)ニ慨嘆(がいたん)ニ堪(た)ヘザルナリ、依(よっ)テ今回有志相謀(あいはか)リ、同国宝保存会ヲ設立シ、普(あまね)ク左記方法ノ如キ寄附金ヲ募集シ、以テ之(これ)カ保存修理ノ途ヲ計リ申度候間(もうしたくそうろうあいだ)、御許可被成下度(なしくだされたく)、此段(このだん)奉願候也(ねがいたてまつりそうろうなり)

要約すると「仏像は国宝に指定され、国庫補助で修理することになったが、お堂や石塔は荒廃しているので、国宝保存会を設立し、広く寄附を募り、修理を計画したい」として、県知事に寄付募集の許可を願っています。大正5年の時点では、阿弥陀堂や石塔はまだ国宝になっておらず、国庫補助を受けられないので、寄付を募って修理を行うことが計画されたと考えられます。寄附金募集が順調に進んだのかは不明ですが、大正7年11月には寄附金取りまとめに付き協議を行い、本堂修繕委員などが選任されているようなので、一定の寄附が集まったものと思われます。

教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)

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