■創建後初の大規模工事
明治39年創建の町指定有形文化財「下町橋」。築100年以上経過している同橋では、令和3年の点検で壁石の張り出しや抜け落ちなどの老朽化が発覚。大規模な補修工事に踏み切りました。
令和4年12月に始めた工事は、ことし7月に終了。今回の工事では壁石を一度取り外し、破損部分や抜け落ちを擬石※1に替えて組み直しました。壁石の修復に合わせて、ガードレールも石造高欄※2に変更。約1年7カ月におよぶ工事を経て、創建当時の美しい姿を取り戻しました。
※1 セメントや砂、砕石などを材料にして、天然石に似せて作った人造石
※2 石材で作られた柵。廊下や橋などの転落防止に取り付けられる
■巡り合わせに感謝
7月29日には開通式を開催。長谷和人町長や近隣住民、工事関係者など46人が参加し、工事の終了を祝いました。施主を代表して長谷町長は「無事にお披露目ができたのは皆さんの温かいご支援とご理解の賜物(たまもの)。今回の改修に立ち会えたという巡り合わせにも感謝している。永久に維持できる石橋を架けた先人の志を受け継ぎ、これからも末永く地域の大事な財産とし、地域の人々が安心安全に往来できるよう管理していきたい」とあいさつしました。
テープカット後には里宮神社の工藤さん一家4世代を先頭に渡り初め。歩き終えた工藤駿介さん(90・下城)は「下城地区に暮らし続け、由緒ある石橋を4世代で渡ることができたという巡り合わせに感謝している。気分爽快だった」と喜びを見せました。
■下町橋について
下町橋は本町を流れる都川に架かる石造アーチ橋。前身は木橋か土橋だったようですが、8~10年ごとに架け替える必要があったため、永久に橋を維持できるようにと、明治39年に石橋に架け替えられました。
当時の湯前村の議事録によると、村から材木などの提供を受け、地元住民が主体となって下町橋を架けたようです。材木が良材であったため、材木を売った代金で石橋を架けることになった、という話も伝わっています。担当した石工は不明ですが、種山石工※の流れをくむ人たちが来たらしいといわれています。
※江戸後期に熊本藩八代郡種山手永(現八代市東陽町)に住んでいたとされる石工の技術者集団
■補修工事経過
下町橋では平成29年から定期点検を行ってきました。平成31年には国・県合同の点検で、専門家を交えて補修工法を検討し、令和2年に設計。令和3年に2回目の点検を行った結果、壁石の張り出しや抜け落ちが確認されました。令和4年に補修工事を開始。特殊な工事であること、出水期を避ける必要があることから、工事は長期におよびました。
町指定文化財の補修であるため創建時の技法を用い、ガードレールは創建当時の石造高欄に変更。補修箇所は擬石修復をし、文化財としての価値を損なわないように補修しました。
■下町橋
橋長:17・5メートル
幅員:3・25メートル
創建:明治39(1906)年
構造:単一アーチ橋
指定:昭和56年に町指定有形文化財に指定
橋の呼び名:
(1)下町橋…両岸の地名「下城」と「古町」から取って名付けられた
(2)権現橋…橋の南側に権現様の社(やしろ)があったことから名付けられた
(3)志多(した)まちはし…親柱には変体仮名※で「志多まちはし」と刻まれている。「志多く」という願いを込めて使ったのではないだろうか
※明治33年以降、学校教育で使われていない平仮名
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