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米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~

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熊本県玉名市

■第2回 菊池川流域の弥生時代の大集落遺跡群
弥生時代(今からおよそ2,800~1,700年前)には各地で米作りが始まり、米作りに適した土地であった菊池川本流や支流の周囲でも盛んに作られました。玉名市玉名にある新玉名駅周辺は現在も水田が広がっていますが、新玉名駅を整備する際に行った発掘調査では、水田の2メートル下から弥生時代中期(2千年前)の水田跡が見つかりました。これは、熊本県内で見つかっている水田では最古のものです。この両迫間日渡遺跡からは、稲を刈り取るときに使う「石包丁」や鍬・鋤などの木製農具も出土しました。
米作りにより豊かになった集落は次第に大きくなり、地域の中心となるような大集落が営まれるようになります。玉名市内には、柳町遺跡(河崎)・木船西遺跡(岱明町野口)・大原遺跡(岱明町野口)・塚原遺跡(岱明町野口)・年の神遺跡(岱明町野口)といった大集落遺跡があります。柳町遺跡からは、弥生時代末から古墳時代にかけての鍬・鋤などの木製農具が多く出土し、米作りが盛んに行われていたことが分かります。木船西遺跡の周辺も大規模な集落があったと考えられ、中国鏡の破鏡(人為的に割った鏡)3点が出土しました。その他、菊池川流域日本遺産の構成市町である菊池市には、うてな遺跡や小野崎遺跡、山鹿市には方保田東原遺跡(国史跡)、和水町の諏訪原遺跡があり、これらの多くは菊池川を見下ろす台地上に立地しています。
このような弥生時代の大集落の長は、次の古墳時代になると富と権力を背景にして、支配地に大きな前方後円墳を築くようになります。

問合せ:文化課
【電話】75-1136

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