高齢化が進む現在。2060年には高齢者の3人に1人が認知症もしくはMCI(軽度認知障害)になると予想されています(厚生労働省研究班推計)。そのような中、本市が目指しているのは、認知症の人やその家族が住み慣れた地域で共に助け合い、安心して暮らし続けられること。決して他人事ではない認知症と、どう向き合っていくのか、そして安心して暮らし続けられるまちとはどのようなまちなのか、一緒に考えてみませんか。今月は認知症特集です。
■ありのままを受け止める
仕事が何よりも大好きだった夫が、認知症になり仕事も運転もできなくなる。認知症を患う夫の介護を15年続けた上野(うえの)さんに話を聞きました。
□頭の隅にもなかった認知症
「真面目で病気知らず、仕事が何よりも大好きな人でした。『よりによってまさかお父さんが認知症になるなんて』と子どもたちや親戚みんなが驚きました」と話すのは上野和子(うえのかずこ)さん(80)。夫の三男(みつお)さんが63歳で若年性認知症と診断され、77歳でこの世を去るまで15年近く介護を続けました。高齢化社会を迎える中で、認知症はいまや身近な存在となりつつあります。誰もがなり得る病気で、自分だけではなく大切な家族が発症するかもしれません。自動車電装整備技士として自宅の横で修理屋を営んでいた三男さんには、認知症と気付くきっかけなどはあったのでしょうか。
「最初に夫の様子が変だと思ったのは、仕事の売上帳の下書きを見たときです。それまではきれいに書いていたのですが、そのときの字は読めるものではありませんでした。『これ何?』と聞くとその文字の意味を説明してくれ、当時は私の頭の隅にも認知症というものはなかったんです。何かおかしいなと、それだけ思いました」
その半年後、三男さんがいつものように1人で近所まで出張修理に車で出かけたときのことです。「事故を起こした」と和子さんに一言。確認するとガードレールに突っ込み、車が大きくへこんでいました。63歳という若い年齢でそのような事故を起こしたことに「認知症かもしれない」と和子さんの心に不安がよぎります。
□認知症と診断され、運転と仕事をやめることを決意
その後病院で検査を受け、認知症と診断されました。「検査の中に絵を描くお題があり、器用な夫はできると思ったんです。でも描けなかった。夫のこれまでと違う様子に驚きました。診断を受けたときは仕方がないと思いましたが、日頃の生活を見ていてもまさかそこまで進んでいるとは思いませんでした」と和子さんは当時を振り返ります。
認知症と告げられた日から三男さんは車の運転をやめました。仕事はしばらく続けましたが三男さんが「今の自分には難しい」とやめることを決意。病院から処方される薬を飲みながら、夫婦で楽しみを見つけて過ごしました。
1人で散歩するのを日課としていた三男さんがあるとき散歩に行かない日が続いたことがありました。和子さんが付き添って出かけてみると、三男さんは道の真ん中を歩いてしまうことが分かりました。道の端を歩くよう促すと、土手や草むらも構わずに真っすぐ歩いていきます。それからはずっと、三男さんの手をしっかり握って2人で散歩を続けました。
そうして約7年間は自宅で過ごしましたが、病状が進行したころに包括支援センターに相談。三男さんが「デイサービスに行ってみたい」という意思が強かったため、通うことがすぐに決まりました。担当した包括支援センター長の築地万里子(ついじまりこ)さんは「三男さんの症状の進み方は、驚くほどに緩やかでした。それはきっと和子さんの接し方が良かったからだと思います」と話します。
□認知症を特別扱いせずにありのままを受け止めた
和子さんはどのように三男さんと向き合ったのでしょうか。
「病院の先生から最初に『怒らせてはいけない』と言われ、夫が嫌な思いをしないよう心掛けました。認知症だからと特に気構えず、それまでの夫に接してきたように、変わらずありのままを受け止めました」
あるとき三男さんが「家を壊さなん」と言う夜が続きました。和子さんが「どうやって壊すと?せっかく作ったし、壊さなくて良いと思うよ」と言うと「そうかな」と三男さんは気が収まったそうです。和子さんに向かって手を振り上げたこともありましたが「殴るの?いいよ。殴ってどうぞ」と言うと三男さんは手を下ろしました。
「悔しくてつらいなと思うときもありましたが、楽しかったです。若いときの夫は手をつないでいても、人や車が通ると手を離す人でした。でも認知症になってからは、手をつないだまま2人でたくさん散歩ができました」と笑顔で話す和子さん。どんなに病気が進行しても、三男さんが言うことを否定せず穏やかに対応し続けました。
病状が進み、誤嚥性(ごえんせい)肺炎を患った三男さんは入院生活に。亡くなる前の数日は言葉も出せず、食事のときは「あー!」と言うことが増えました。「どうして夫がそんな声を出すのか観察すると、好きなものを食べているときに言っていることに気付いたんです。夫なりの『おいしい』でした。認知症の人が突然大きな声を出すことがありますが、それには何か理由があり、私たちが使っている言葉になっていないだけだと思いました。早く気付けなくて申し訳なかったです」と和子さんは振り返りました。
「普段は『ありがとう』なんて絶対に言わない夫が最後、亡くなる前にはちゃんと言葉で感謝の気持ちを伝えてくれました。『私のこと覚えてる?』と聞くと『うん』と言ってくれました。とてもうれしかったです」と話す和子さん。現在認知症の介護をしている人に向けて伝えたいことを伺いました。
「まずはありのままを受け止めること。本人の言うことを否定せずに、満足するような方向に行くよう手伝うことが大切だと思います」
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