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ストックホルム訪問リポートVоl.1 語り継がれる「消えた日本人」

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熊本県玉名市

■金栗四三さんが果たした55年越しのゴール
スウェーデンのストックホルムソレントゥーナ市は、明治45年(1912)に金栗四三さんがマラソン選手として日本人で初めてオリンピックに出場し、無念にも体調不良で倒れた地です。金栗さんはコースから外れた場所で地元の人(ペトレ家)に助けられ、競技場へは戻らず宿舎に帰りました。そのため正式な棄権の申し出が本部に届いておらず、スウェーデンでは金栗四三という選手は「消えた日本人」「消えたオリンピック走者」として語られることに︙。その後も二度のオリンピック出場を果たした金栗さんは以降、国内のマラソン普及と体育振興に尽力します。
昭和37年(1962)、ストックホルム大会から50年目の夏。スウェーデンの新聞記者が「消えた日本人」の謎を解明するため、金栗さんを玉名の自宅まで訪問取材。謎を解き明かした取材結果は、スウェーデンの新聞やテレビで大きく紹介されました。昭和42年(1967)、金栗さんが75才のときにスウェーデンオリンピック委員会からオリンピックの55周年記念祝賀行事への招待を受けると、ストックホルムの五輪記念陸上競技場を訪問。大観衆の前で10mほど走り、笑顔でゴールテープを切ります。その瞬間「日本の金栗選手、ただ今ゴールイン。記録は通算54年と8月6日5時間32分20秒3。これをもちまして第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了といたします」との粋な場内アナウンスが流されました。
現地では今も「消えた日本人」として語り継がれる金栗さんの物語。本市では改めてこの物語の足跡をたどり、たすきをつないで新しい章を加える一助となれるよう、金栗さんとスウェーデンとの交流を顕彰していきます。

■本市から4人がストックホルムを訪問
5月31日~6月1日に、市長、玉名市国際交流アドバイザー、市観光物産課金栗四三・ツーリズム推進室長、金栗四三専門官の4人がストックホルムを訪問しました。現地で開催された「金栗四三展」や「ストックホルムマラソン」のセレモニーへの出席のほか、ペトレ家の皆さんとの交流を行いました。今号と次号ではその模様をリポートします。

■金栗さんを救ったペトレ家
市長は、ストックホルムオリンピックの際に金栗さんを介抱したペトレ家のひ孫に当たるタチアナ・ペトレ夫婦を訪問。3人のお子さんも同席しました。ペトレ家に代々伝わるマラソンパンとラズベリージュースを用意していたタチアナさん。「55年後に再び金栗さんがペトレ家を訪れた際も同じものを召し上がりました」と、ペトレ家で代々伝わるエピソードを紹介しました。市長が「1912年に金栗さんを介抱いただきありがとうございます。日本マラソンの父が生まれたのはペトレ家のおかげです」と謝意を伝えると、タチアナさんは「娘たちの代になってもペトレ家は金栗事業を応援していきます。また近いうちに玉名市を訪問したいです」と金栗さんと本市への思いを語りました。

■大盛況の「金栗四三展」
市長は、10月1日までスウェーデン国立スポーツ博物館で開催される「金栗四三展」のオープニングセレモニーに出席しました。この企画展は、昨年に続き2回目の開催となる当企画展。昨年は現地の企画実行委員会や在スウェーデン日本国大使館の協力の下、ソレントゥーナ市で開催され、好評だったことから、本年も開催される運びとなりました。本市からも金栗さんののぼりやパンフレット、ノベルティなどを提供しています。
オープニングセレモニーでは、市長が「我々日本人、そして玉名市の誇りであり『消えた日本人』として有名な金栗さんの企画展を開催していただき感謝いたします」とあいさつ。お返しに、ペトレ家の皆さんからは市長になんと代々受け継がれているマラソンパンとラズベリージュースのレシピ、エプロンのプレゼント。来場者には琴や尺八など日本式のおもてなしが振る舞われ、温かくにぎやかな雰囲気で盛り上がりました。

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