((1)の続き)
■玉名で星を語る人
本市で開催されている星空観察会は、玉名町支館、築山支館、文化センター、歴史博物館こころピアの全部で4カ所。その講師をしている吉永公明さんとサポートを担う隈部智華さんにお話を聞きました。
○プロフィール
・吉永公明(よしながこうめい)さん(74歳、築地)
玉名市出身。熊本大学理学部物理学科卒業、物理・地学担当の元高校教師。1997年に鹿本高校へ転勤する際に玉名へ戻る。高校教師退職後、2年前まで農業に励む。
・隈部智華(くまべちはる)さん(49歳、南出)
玉東町出身。佐賀大学教育学部卒業後、2000年に玉名市役所入庁。2007年に玉名市歴史博物館こころピアに勤務となり、吉永さんと出会う。
約20年前のこと、歴史博物館こころピアには質の良い天体望遠鏡が寄贈されていましたが、誰も使えず眠っていました。そこで当時の博物館職員が吉永さんに「博物館の名称に付いている『歴史』は考古学や民俗学だけでなく地球の歴史という側面もあるし、せっかく望遠鏡もあるから使いませんか?」と提案。それならばと博物館で星空観察会を行うことになりました。その約5年後、隈部さんが博物館に勤務することに。それが星空観察会の講師である吉永さんとの出会いでした。隈部さん自身も望遠鏡を購入し、吉永さんに使い方を教わりながら天体観測に挑戦するようになりました。
□星を好きになったきっかけは。
吉永さん(以下 吉):星を好きになったのは高校生の頃。大学では、星と望遠鏡に詳しい同級生に教わり、望遠鏡を自作しました。塩ビ管とレンズをつないだものを使って、月や土星を見て感動。その同級生とは望遠鏡を作るために自転車を解体して、鉄工所に頼んで溶接などをしてもらったこともあります。その望遠鏡で初めて捉えたのは「ベネット彗星(すいせい)」でした。アルバイトでためたお金で、大学4年生になってようやく市販の望遠鏡を購入しました。
隈部さん(以下 隈):小さい頃から理由もなく星が好きでした。私が母のおなかの中にいる頃に、母がずっと「宇宙戦艦ヤマト」を鑑賞していたそうで、それが胎教になったのではないかと考えています。幼い頃は宇宙を題材にしたアニメ(銀河鉄道999やガンダムなど)が放送されていて、星の図鑑や星座の物語を読むことも大好きでした。夢は天文学者でしたが、高校の物理や数学が苦手で別の分野に進学しました。
□星の講師を始めたきっかけは。
吉:高校教師になって初の赴任先の大津高校で、生徒と一緒に星を見たいと思い、当時担当していた1年生の授業で全員に「星好き集まれ」と声をかけてみました。みんな集まってくれ、中にはすでに望遠鏡を持っている生徒もいました。その生徒は今でも星の写真を撮って送ってくれます。
水俣高校に転任し、そのころ地学部の担当に。水俣では市民対象の星空観察会が開催されていました。主催は「水俣星を観る会」。会長は西川登(にしかわのぼる)さんという九州で最初に新彗星「西川(にしかわ)高見沢(たかみざわ)多胡彗星(たごすいせい)」を発見した人です。西川さんは星を自分だけで楽しむのではなく、市民にも楽しんでほしいと観察会を開催し、私にも声をかけてくれました。
その後、玉名に戻ってきてから、地元でも星空観察会をしたいと考えていました。私が区長になったとき、当時の築地区の区長会長から「地域で文化的な行事が何かできないか?」と相談され、星空観察会をすることに。観察会にはたくさんの参加者が集まり、1人で講師をするのは大変でした。今では隈部さんともう1人が加わりとても楽に。三人三様の持ち味で解説ができるようになっています。
隈:玉名町支館の役員さんに「望遠鏡で星を見せることができる」と伝えたところ「それは良い思い付きだ!絶対に開催しよう」と盛り上がり、星空観察会を開催することに。開催してもう丸3年ほどたちます。
□講師をしていて良かったことは。
吉:高校教師になってからずっと「みんなと一緒に楽しみたい」という気持ちがあります。以前、水俣高校の教え子から「先生が僕を地学部に誘ってくれたことが、僕の45年の人生の一番の転機です」と連絡が来ました。学校生活がうまくいかず気持ちがどん底の時期に、地学部で星を見て前向きになれたと。星の活動をしていて、今までの出会いの中に1人でもそういう人がいたのだと思うと良かったです。
隈:アマチュア天文家には、1人で楽しみたい人もいれば、みんなで一緒に楽しみたいという吉永先生のような人もいます。吉永先生がいて玉名はラッキーだと思います。
((3)に続く)
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