■私のハンセン病取材(記者として、家族として)
7月25日に開催された、人吉球磨人権教育研究協議会下球磨ブロック社会教育部会で、熊本日日新聞社論説顧問兼新聞博物館長泉潤(いずみじゅん)さんの講演がありました。
まず、ハンセン病の歴史では黒髪校事件を取り上げられました。当時、竜田寮では菊池恵楓園入所者の子どもたちが生活しており、地域児童との交流もあったそうです。しかし、黒髪校への転入を拒否されたことで地域の人たちとも交流がなくなり、寮にいた子どもたちは各地の養護施設へ分散して生活しなければならなくなったそうです。病気についての誤解により、家族も差別を受けていたことになります。
また、講師は、「祖母が亡くなった時に、曾祖父が長島愛生園で亡くなっていたことを知った」と言われました。自分が記事で批判してきた、ハンセン病問題を知らず、知ろうともしなかった者たち、その最たる者が自分であったことに気づき、愕然とされたそうです。「祖母は、差別を恐れてずっと隠していた。なぜ被害者が差別を恐れ、名前を隠さなければならないのか。差別は誰もが当事者。人に序列をつける社会は、誰もが生きにくい社会である。差別のないあたたかい社会にしましょう」と結ばれました。
近年においても、コロナウィルス感染症に関して患者だけでなく医療従事者への差別がありました。「私は差別していない」は危険です。私たちができることは、歴史に学び、同じ過ちを繰り返さないよう考え、適切な行動をとることだと再認識した研修会でした。
問い合わせ:教育委員会 社会教育係
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