◆心身を鍛錬し作刀 1000年持つ刀剣を
日本刀 松永日本刀剣鍛錬所
◇25歳で飛び込んだ伝統工芸・刀剣の道
今、次の1000年を見据えてものづくりをしている人はどれくらいいるでしょう。刀匠・松永源六郎(まつながげんろくろう)さんは、古来から伝わる「たたら製鉄」の技法で真剣の日本刀を打っています。「たたら製鉄」とは有明海の砂鉄を原料として玉鋼(たまはがね)を作り、1300度以上の高温で熱し、たたいたものを何度も折り重ねる手法です。刀剣の切れ味はもちろん、折れない強さと刀身の刃の部分に浮かぶ刃文の美しさを兼ね備えた芸術品として、数々の著名人に献上されています。
「父親が警察官で幼い頃から真剣を用いた武術の稽古をしていたことが作刀の原体験にある」と話す松永さんは、高校生になる頃には愛刀家として数本の刀剣を手元に置くように。さらに社会人になると刀剣の鑑定をはじめ、全国各地の愛刀家たちを訪ね歩くようになります。それから、25歳の時に出会った荒尾の刀鍛冶・川村清(かわむらきよし)氏の元で5年間の修行を経て、今年で46年目。刀鍛冶としてこれまでに2人の弟子を輩出、現在は3人目の弟子を育成中だとか。「伝統工芸を教えるのは大変ですが、教えられるということは幸せなことですね」と話す松永さんは、真剣を使った古武道「小岱流斬試」の宗家として国内外の門下生の指導も行っています。
◇「〝今〞は〝昔〞の続き」歴史に本質を見て
「〝賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ〞と言いますが、本質や根拠をとらえていかないと本物は得られません。好きなものの歴史的背景を探ってみれば、必ず現代に至るまでつながってくる。〝今〞は〝昔〞の続き、それが歴史の本質です」と松永さん。奥ゆかしさという日本人の精神性を宿す刀剣の歴史は、命をかけて刀剣を打つ松永さんの生き様そのもの。これからも松永さんの技術は弟子を通して後世に受け継がれていくことでしょう。
◆温かな暮らしの器 親子で志す小代焼
小代焼 小代本谷 ちひろ窯
◇会社員から陶芸へ 転機は、28歳の時
「作陶しているときが一番リラックスできます。だから休みという休みはほとんどなくても気にならないんです」。土特有のひんやりとした空気が漂う工房で、優しくほほ笑むのは陶芸家の前野智博(まえのともひろ)さんです。会社勤めを辞めて、陶芸の道を志したのは28歳の時。何かきっかけとなる出来事があったわけでもなく「焼き物を作ろう」と突然ひらめいたというから人生は面白いものです。ゼロからのスタートを切った前野さんが知り合いを介してたどり着いたのが、福田豊水(ふくだほうすい)さんが開業した「小代焼瑞穂窯」でした。小代焼といえば小岱山麓で約400年に渡り、人々の暮らしの中で愛されてきた伝統ある焼き物。さぞ修行は厳しかったのだろうと思いきや「福田先生は温厚な人柄で、いつも〝私たちが作っているものは民藝なのだから使いやすさを生み出しなさい〞と声をかけてくれていました」と懐かしそうに振り返ります。7年の修行を経て、沖縄へ渡った前野さんは「やちむんの里」で2年間腕を磨き、1998年に「小代本谷ちひろ窯」を開窯。2002年には「小代焼窯元の会」が発足し、2003年には国の伝統的工芸品に指定を受けた小代焼。前野さんも小代焼認定伝統工芸士としてその技を守り継いでいます。
◇奇抜さより柔らかさ 親子で作る優しい器
「奇抜さより、柔らかさ。生活に寄り添う器を大事にしています」と前野さん。工房に隣接するギャラリーには小代焼の伝統的な作品はもちろん、沖縄のやちむんの手法を取り入れたものや明るい色味のものなど多彩な器が並んでいます。今では息子の廉(れん)さんと隣り合わせでろくろを回す日々。若き日の前野さんが踏み出した民藝の道は、次の世代へと着実に継承されています。
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