文字サイズ
自治体の皆さまへ

《シリーズ》南北朝・菊池一族歴史街道(8)

17/41

熊本県菊池市

昨年度から連載をスタートしたシリーズ「南北朝・菊池一族歴史街道」。今年度も引き続き、久留米市、八女市、小郡市、うきは市、大刀洗町と本市に残された史跡や歴史文化を紹介します。

■菊池市
県内では本市にしか見られない「亀趺(きふ)の墓」と呼ばれる菊池一族の墓が4基残されています。13代武重(たけしげ)、15代武光(たけみつ)、17代武朝(たけとも)、23代政隆(まさたか)の墓で、全て市の指定文化財になっています。亀趺の墓とは、亀蛇(きだ)と呼ばれる空想上の生き物の背の上に墓碑が乗った墓のことで、目覚ましい孝徳を積んだ人にだけ許される特別な墓です。

■武光の墓(神道碑)
熊耳山正観寺(ゆうじざんしょうかんじ)(東正観寺)にあります。正観寺のクスの樹下にあった墓は時代とともに廃れ、江戸時代には荒れ果てていました。文教菊池の祖とされる渋江紫陽(しぶえしよう)・松石(しょうせき)親子はそれを憂い、菊池一族の顕彰の大きな柱として武光墓所の整備に尽力します。そして、同じ南朝方の立役者楠木正成(くすのきまさしげ)に亀趺の墓が許されるのなら、武光もそうあるべき、と考えます。その願いが成就し、安永8(1779)年、湊川(みなとがわ)神社(神戸市)にある正成の墓に倣って武光の墓が造られました。亀蛇は細面で吊り上がり気味の鋭いまなじりを持つ、とても凛々しい顔立ちです。

■武重の墓
先に造られた武光の墓に倣って、文化13(1816)年、輪足山東福寺(わたるざんとうふくじ)(亘)の歓喜院(かんきいん)と呼ばれていた場所に建てられました。武光の亀蛇よりやや丸顔ですが、切れ長の鋭い目元など武光のものとよく似た、すっきりとした顔立ちをしています。

■武朝の墓
菩提寺といわれる真徳寺(しんとくじ)跡(金峰)にあります。前の2基とはやや趣を異にし、亀蛇の顔や体つきは丸みを帯びています。大きな楕円形の目玉が特徴的な亀蛇です。昭和36年に武朝の墓であることが確認されました。

■政隆の墓
久米原の戦いに敗れ19歳で果てた政隆の墓は、自刃した安国寺(あんこくじ)(久米一)の裏手にあります。この亀蛇は、初期に造られたものと比べ、全体的に丸みを帯びた柔らかい体つきが特徴です。丸顔にまん丸の瞳、太くて長い首など愛らしく親しみやすいものとなっています。

■菊池一族とは
平安時代から室町時代にかけて、現在の県北部、菊池市を拠点に活躍した武士の一族です。
菊池一族ウェブサイト【HP】https://www.city.kikuchi.lg.jp/ichizoku/

問い合わせ先:菊池プロモーション室
【電話】0968-25-7267

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU